夙川河川敷緑地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/10 00:00 UTC 版)
樹木伐採の計画
市道拡張と立体交差化による県道の踏切渋滞解消を目的とした都市計画変更が立案されたが、このうち阪急甲陽線の苦楽園口駅から甲陽園駅にかけての区間を道路の地下へ移設するためトンネルを露天掘りするにあたって[3]、当初計画では夙川公園の樹木を数百本(周辺を含め多ければ1,000本)近くの伐採を伴うものであった。この計画に対して地域住民からの反対意見が多くあったことから計画を変更したため、公園の樹木は守られることになったが、地域住民で組織するオンブズマンなどは、変更案についても引き続き別の観点から憂慮を表明している[4]。
参考画像
公園内を跨ぐ阪急甲陽線
周辺の施設
- 大手前大学さくら夙川キャンパス
- カトリック夙川教会
- ギャラリー小さい芽
- 辰馬考古資料館
- 西宮市大谷記念美術館
- 兵庫県立甲山森林公園
- 北山緑化植物園
- 西宮市立中央図書館
- 甲陽学院中学校
- 西宮回生病院
交通
参考文献
- 東京都公園協会(2012)東京の緑をつくった偉人たち 明治草創期から昭和東京緑地計画まで : p.18-24
- 石川幹子(2001)都市と緑地,岩波書店: p244-259
- 越沢明(1997)パークウェイとして整備された夙川公園の特徴とその意義 (PDF) 国際交通安全学会誌 Vol.23, No.1: p.60-69, NAID 10002715780
- 神戸新聞総合出版センター(2015)阪神沿線まちと文化の年: p.12-19
- 西宮市(1937)夙川公園概要, pp.34
- 西宮市(1967)西宮市史第3巻, p.353-358
- 西宮市議会事務局(2018)にしのみや市政の概要, p.200
- 山口敬太, 西野康弘、「神戸市河川沿緑地の形成とその構想の起源:古宇田實の水害復興構想とその戦災復興への影響」 『都市計画論文集』 2014年 49巻 1号 p.128-139, doi:10.11361/journalcpij.49.128
- 斉藤建雄「六甲山系の風致保存」『公園緑地』1巻10号、pp.8-15、1937年
脚注
- ^ a b 越沢明(1997)
- ^ 西宮市(1937)
- ^ 都市計画道路『山手線』の都市計画変更について - 西宮市道路建設課(2004年付、2009年6月4日閲覧)
- ^ オンブズ通信 《19号》 - 市民オンブズ西宮(2006年3月8日付、2009年6月4日閲覧)
- 1 夙川河川敷緑地とは
- 2 夙川河川敷緑地の概要
- 3 樹木伐採の計画
- 4 関連項目
- 5 外部リンク
- 夙川河川敷緑地のページへのリンク