北条貞顕
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人物・逸話
金沢文庫の古文書の中には彼の書状が642通(書状の復元作業などから566通とも)現存し[13]、これは鎌倉時代後期・末期の情勢を伝える上で貴重な史料となっている[14]。
貞顕は当時では一流の文化人であり、探題時代に多くの文化人と交遊して書写を行なったりした。鎌倉帰還後も親王将軍をもてなすために京都の銘茶と道具類を備えるなどしている[15]。貞顕の政治家としての評価は「得宗家の強大な権力にひれ伏した」として低い[16]。しかしこれは貞顕が幕府滅亡時の7年前まで幕府中枢で幕政を仕切っていたため(幕府滅亡までも一定の影響力はあったと思われる)という結果論であり、実際の貞顕は先例や理運を重んじる常識人で周囲に対する配慮を怠らない調整役だったという[17]。
また病弱な高時を連署として盛り立てる一方で安達時顕と長崎高綱という2人の巨頭の権力争いにクッションの役割を務めて高時政権を大過無く支えた功労者である[17]。優秀な人物ではあったが、革新的な思考や武断的な手腕には乏しく、気配り・調整によって政権を維持する人物であった[14]。永井晋は以下のように評している。
「 | 成熟期に入った組織の運営をすることの難しさを知る者であれば、「おまえの苦労はよくわかる」と共感のもてる史料が多い[14]。 | 」 |
経歴
※ 日付=旧暦
- 1294年(永仁2年)12月16日、左衛門尉に任官し、東二条院蔵人に補任。
- 1296年(永仁4年)4月21日、従五位下に叙位。 4月24日、右近衛将監に転任。 5月15日、左近衛将監に遷任。
- 1300年(正安2年)10月11日、従五位上に昇叙。左近衛将監如元。
- 1302年(乾元元年)7月7日、六波羅探題南方に就任。8月11日中務大輔に転任。
- 1304年(嘉元2年)6月2日、越後守に遷任。
- 1307年(徳治2年)1月29日、正五位下に昇叙。越後守如元。
- 1308年(延慶元年)12月、六波羅探題退任。
- 1309年(延慶2年)3月15日、三番引付頭人に就任。4月9日、寄合衆兼帯。8月、二番引付頭人に異動。 10月2日、越後守辞任。
- 1310年(延慶3年)6月25日、六波羅探題北方として再度赴任。6月28日、右馬権頭に任官。
- 1311年(応長元年)6月、右馬権頭を辞任。10月24日、武蔵守に任官。
- 1314年(正和3年)12月、六波羅探題退任。
- 1315年(正和4年)7月11日、連署と就る。
- 1316年(正和5年)12月11日、従四位下に昇叙。武蔵守如元。
- 1319年(元応元年)2月、武蔵守を辞任。
- 1320年(元応2年)10月2日、従四位上に昇叙。
- 1322年(元亨2年)9月17日、修理権大夫に任官。日付不詳、志摩守護に就任。
- 1326年(嘉暦元年)3月16日、執権と就る。3月26日、執権退任。出家、法名:崇顕。
- 1333年(元弘3年、正慶2年)5月22日、鎌倉幕府滅亡に際し東勝寺で北条高時らと自刃。享年56。
※参考資料=北条時政以来後見次第(東京大学史料編纂所所蔵影写)、鎌倉年代記(増補続史料大成)、尊卑分脈(新訂増補国史大系)、金沢文庫古文書、武家年代記(増補続史料大成)、
脚注
注釈
- ^ 建長7年(1255年)との説もある[1]。
- ^ 『鎌倉・室町人名事典』では母を安達泰盛の娘としている。
- ^ 貞顕が北方へ転任するという噂があったが、本人は長期に渡る在京の不満や所領問題から「身の大訴」として鎌倉帰還を強く要望した。なお、貞顕は12月24日まで南方を務めている[7]。
- ^ 1月17日付の書状で貞顕がこの役に選ばれたことを喜んでいた旨が記されている[8]。
- ^ 『保暦間記』には「関東の侍、老いたるは申すに及ばず、十六、七の若者どもまで、皆出家入道す、いまいましくも不思議の瑞相なり」とある。
- ^ 3月20日付の貞将宛の書状で貞顕は「やがてやがて、火中に入れられ候べく候」と身の危険を感じていたことを示している一文がある[9]。
- ^ 『太平記』には「金沢大夫入道崇顕」として名が見え、高時と共に自刃したとしている[12]。
出典
- ^ 安田 1985, p. 537.
- ^ 永井 2003, p. 3.
- ^ 永井 2003, pp. 15–17.
- ^ 永井 2003, p. 27.
- ^ 永井 2003, p. 28.
- ^ 永井 2003, pp. 39–44.
- ^ 永井 2003, pp. 54–55, 63.
- ^ 永井 2003, p. 63.
- ^ a b 永井 2003, p. 111.
- ^ 永井 2003, p. 113.
- ^ 永井 2003, p. 122.
- ^ 永井 2003, p. 150.
- ^ 永井 2003, p. 215.
- ^ a b c 永井 2003, p. 5.
- ^ 永井 2003, p. 213.
- ^ 永井 2003, p. 203.
- ^ a b 永井 2003, p. 204.
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