北原阿智之助 北原阿智之助の概要

北原阿智之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 07:38 UTC 版)

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北原阿智之助

生涯

信濃国伊那郡座光寺村(現長野県飯田市)に庄屋北原稲雄の次男として生まれ[1]明治20年(1887年)同郡上郷村の同族北原家の養子となる[1]

明治14年(1881年)に上京し、渡辺重石丸の道生館に学び、一旦帰郷、同18年(1885年)に再び上京して成立学舎築地の英学校に学ぶ。和歌を海上胤平、俳句を正岡子規に師事する。同23年(1890年)雑誌「正気」を発行、子規の「日本新聞」俳句欄に投稿し、同30年(1897年)飯田で「松声会」を結成した。同35年(1902年)には伊那史料刊行会を設立し「伊那名勝志」を発行、菱田春草が挿絵を担当した。

上郷村会議員、村助役、村長、下伊那郡会議員を歴任し、同36年(1903年)長野県会議員に初当選。昭和5年(1930年)、第17回衆議院議員総選挙に初当選し、3期務める。

その他、下伊那国民精神作興会理事長、天竜社会長、大日本実行会創立委員などを務め、産業の開発にも貢献した。

係累

実兄の北原信綱も衆議院議員[1]。次女は塩沢幸一に嫁ぐ。

参考文献

  • 宝月圭吾編 『長野県風土記』 旺文社、1986年
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年

  1. ^ a b c 「信濃人物誌」 1965年 p.158


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