加藤寛治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 04:59 UTC 版)
人物
- 兵学校時代には江田島の寄宿舎もなく、船が寄宿舎であったため、後の兵学校のような厳しい軍規はできておらず、試験前になると夜中に灯りをつけて勉強し一番をとった。
- 校長時代、入校式では「当校は戦争に勝てばよいので、哲学も宗教も思想も必要ない」と訓示の中で述べていた。
- 美保関事件発生当時、高橋三吉連合艦隊参謀長が旗艦「長門」の退避を提案、加藤も賛同した。それに対して大川内伝七参謀が、「死傷者が多数出ているのに長官だけ先に帰るとは何事か」と怒声とともに抗議し、加藤は絶句したという。結局、前言を撤回して事故の収束に当たったが、加藤はわだかまりを感じたようで、のちに大川内と同郷の百武源吾に「(大川内や百武の郷土)佐賀の人間は偏屈で狭量」と口を滑らせ、逆に百武から罵倒される原因となった。
- 真崎甚三郎と親しく、二・二六事件では事件発生の朝、伏見宮、真崎と協議を行った後三人で参内し、伏見宮が昭和天皇に拝謁したが、天皇の不興を買う。加藤はのち憲兵隊の取調べを受けた。
- 斎藤実とともに日露協会の幹部を務め、駐日大使のアレクサンドル・トロヤノフスキーとは親しくした[27]。
著作
- 『加藤寛治日記 続・現代史資料(5)』(みすず書房、2004年にオンデマンド版) ISBN 4-622-06151-1
大正7年(1918年)から昭和14年(1939年)までの、シベリア出兵、ワシントン・ロンドン両条約批准から廃棄にいたる海軍内の策動と陸軍、政府、その他的人物の往来を詳しく記録し、さらに満州事変、五・一五事件、二・二六事件、盧溝橋事件などを記す。関連文書、書翰を併収。
参考文献
- 水交会編『回想の日本海軍』原書房、1985年。
- 岡田貞寛『父と私の二・二六事件』講談社、1989年。
軍職 | ||
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先代 岡田啓介 |
連合艦隊司令長官 第17代:1926年12月1日 - 1928年12月10日 |
次代 谷口尚真 |
先代 鈴木貫太郎 |
海軍軍令部長 第13代:1929年1月22日 - 1930年6月11日 |
次代 谷口尚真 |
- ^ 『官報』第3647号「彙報 - 官庁事項 - 官吏薨去」1939年3月4日。
- ^ 『加藤寛治大将伝』加藤寛治大将伝記編纂会、1941年、p.663
- ^ 加藤三笠砲術長、「八月十日の海戦に於て砲火の指揮に関し得たる実験要領」三笠機密第205号
- ^ 「三笠戦闘詳報」、三十七年八月十日日露艦隊海戦第三回詳報
- ^ 相澤淳『海軍の選択』中公叢書、p.54-56
- ^ 条約成立時には憤激のあまり鼻血を出してしまった。
- ^ 主力鑑比率対米6割が決まった際、悔し涙を浮かべて「必ずアメリカに報復してみせる」と怒鳴り散らした。
- ^ 岩橋幹弘「軍縮期における海軍内部対立の再考察」『軍事史学』第28巻第2号、1992年9月。
- ^ 衝突の各艦、舞鶴に入港『東京日日新聞』昭和2年8月27日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p50 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『官報』第3236号「叙任及辞令」1894年4月17日。
- ^ 『官報』第5963号「叙任及辞令」1903年5月21日。
- ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
- ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
- ^ 『官報』第872号「叙任及辞令」1929年11月25日。
- ^ 『官報』第2329号「叙任及辞令」1934年10月4日。
- ^ 『官報』第3630号「叙任及辞令」1939年2月13日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第6426号「敍任及辞令」1904年11月30日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
- ^ 『官報』第1846号「叙任及辞令」1918年9月27日。
- ^ 『官報』第901号「叙任及辞令」1929年12月29日。
- ^ 『官報』第2654号「叙任及辞令」1935年11月6日。
- ^ 『官報』第8034号「叙任及辞令」1910年4月7日。
- ^ “叙勲裁可書・大正九年・叙勲巻十二・外国勲章記章受領及佩用六止”. p. 2-7 (3 December, 1920). 2022年9月3日閲覧。
- ^ “叙勲裁可書・大正九年・叙勲巻十二・外国勲章記章受領及佩用六止”. p. 7-9 (3 December, 1920). 2022年9月3日閲覧。
- ^ 『官報』第2897号「叙任及辞令」1936年8月27日。
- ^ 坂井景南『英傑加藤寛治―景南回想記』1979年.
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