内閣総理大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/25 20:41 UTC 版)
概要
内閣総理大臣は、行政権の属する内閣の首長で(憲法第66条1項)[4]、三権の長の一人であり、その他の国務大臣を任免し(憲法第68条)、内閣を代表して国会に議案を提出し、一般の国務および外交関係を報告し、行政各部を指揮監督する(憲法第72条)[4]。
議院内閣制により、国会議員の中から国会の議決(内閣総理大臣指名選挙/首班指名)により指名され(憲法第67条)、これに基づいて天皇は形式的な国事行為として内閣総理大臣を任命する(憲法第6条)[4]。
さらに、内閣総理大臣は、文民でなければならず(憲法第66条2項)、自衛隊の最高指揮監督権を有する(自衛隊法)。内閣府ほか複数の行政組織の長ないし主任の大臣でもあり、これらの機関は内閣総理大臣が直接所管する[4]。
また、現行の日本国憲法においては、日本の元首について明記された条文は存在せず、日本の元首が誰であるかについては憲法学説上の議論があるが[5]、学説の大多数は、条約の締結権や外交使節の任免権のほか一般に外交関係を処理する権限を有する内閣あるいは行政権の首長として内閣を代表する内閣総理大臣を元首と位置付けている。なお、国際慣行上は天皇が元首として遇される[5][6]。
呼称
略称
内閣制度の発足当時から、内閣総理大臣の略称として、一般に「総理大臣」がよく用いられるが、このほかにも、「総理」や「首相」との略称、通称も用いられる[4]。異称として「宰相」が用いられることもある[7]。
英語表記
![]() | この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2016年9月) ( |
公式の英語表記は「Prime Minister」である。この英訳は内閣制度の導入前より「太政大臣」の英訳として非公式に用いられていた。もっとも、「内閣総理大臣」の英訳としては当初からこの語であったわけではなく、かつては「Minister President of State」(「国の大臣主席)」の意味)というドイツ風の訳語も用いられた[注釈 2]。
地位
内閣の首長
内閣総理大臣も内閣の構成員であるが、日本国憲法では内閣総理大臣を内閣の「首長」と位置付けている。内閣総理大臣は他の国務大臣の上位にあって内閣を統率し、外に対して内閣を代表する。さらに行政各部を指揮監督する権限を有する[9]。
憲法上、衆議院解散を決定する権限は内閣に属すると解釈されているが、実質的には、内閣の首長たる内閣総理大臣が権限を持つ[10]。したがって、内閣総理大臣は閣議を開き、「今般、衆議院を解散することに決したので、国務大臣の諸君の賛成を賜りたい」と全閣僚に対して衆議院解散を諮り、内閣の総意を得た上で、衆議院解散を行うための閣議書に、全ての国務大臣の署名を集めなければならない。しかし、憲法68条2項は「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」と定めており、内閣総理大臣は時期や理由を問わず何らの制約なく自由な裁量によって国務大臣を罷免することができる[11]。したがって、衆議院解散を行うための閣議書への署名を国務大臣が拒否する場合、内閣総理大臣は当該大臣を罷免して自身が兼任するか他の大臣に兼任させることで閣議決定を行うことができる[注釈 3]。
仮に全閣僚が解散に反対したとしても、内閣総理大臣はすべての大臣を罷免・兼務してでも解散を閣議決定できる(一人内閣)。したがって、内閣総理大臣が解散を行うことを決定した場合、これを阻止する手立ては一切存在しない。解散は憲法7条3号に基づく天皇の国事行為として行われているが、憲法4条1項で天皇は国政に関する権能を有しないと規定されているため、解散権は内閣に属しており、事実上、内閣の首長たる内閣総理大臣が解散権を握っている。したがって、七条解散は、内閣総理大臣が国民に信を問う必要があると判断した際に解散するものとされ、内閣には自由裁量に基づく解散決定権があると解釈されている[12]。ほとんどの解散は憲法7条3号を援用して、内閣の発議のもとに行われている。内閣がいつこれを発議するかは、内閣総理大臣の意思次第である[10]。このため、解散権は「内閣総理大臣の専権事項」「首相の伝家の宝刀」とされている[12]。
主任の大臣
内閣総理大臣は以下の機関を所管し、内閣法にいう主任の大臣を務める。
- 内閣官房(内閣法24条)- 内閣官房長官が事務を統括する(内閣法13条3項)。
- 内閣法制局(内閣法制局設置法7条)- 内閣法制局長官が事務を統括する(内閣法制局設置法2条2項)。
- 内閣府(内閣府設置法6条2項)- 自身の補助者として内閣府特命担当大臣を置くことができる(内閣府設置法9条1項)。内閣官房長官は、内閣総理大臣を助けて内閣府の事務を整理し、所要の事務について統括する(同法8条1項)。
- 復興庁(復興庁設置法6条2項)- 自身の補助者として復興大臣を置く(同法8条3項)。東日本大震災を受けての臨時措置。
- デジタル庁(デジタル庁設置法6条2項)- 自身の補助者としてデジタル大臣を置く(同法8条3項)。
- 内閣に設置される種々の「会議」「本部」など(例えば、国家安全保障会議)。
元首の地位とその議論
大日本帝国憲法とは違い、現行の日本国憲法には日本の元首に関する規定がない。このことから日本の元首については学説上の様々な議論が存在する。
元首には内治、外交を通じて国を代表し、行政権を掌握している国家機関、あるいは実質的な国家統治の大権を持たなくても国家におけるヘッドの地位にあるもの等、様々な定義がある。誰が元首の資格を持つかは各国法の定める問題であるが、通常、君主国では君主、共和国では大統領がこれに当たる。旧憲法は明文で天皇を元首としていた。現行憲法下では、誰を元首と見るか学説上争いがあり、天皇とする説、内閣総理大臣とする説、存在しないとする説などがあり、結局は元首の定義いかんに帰する問題と考えられる[13]。
長野和夫によれば、国民主権下では、国家を代表する資格をもつ国家機関の長で、国内的にも統治権行使の権限をもつ首相が元首であるべきとの意見が学者の間では強い[14]。芦部信喜によれば、元首の要件で特に重要なのは、外国に対して国家を代表する権能であるとしている。しかし天皇は外交関係では、形式的・儀礼的行為しか憲法で認められていない。したがって、日本の元首は条約締結や外交使節任免および外交関係処理の権限をもち、国家機関として対外代表資格を有する内閣または内閣総理大臣とするのが多数説である[15][16]。さらに、天皇と内閣総理大臣が元首の役割を分担しているとの見解もある[17]。
一方で、元首は対外的に国家を儀礼的に代表する権限をもつだけで十分として、国の象徴の地位にある者は元首的性格をもつとみる学説があり、この場合には天皇が元首とみなされる。国際慣行上は天皇が元首として遇される[5][6]。1973年(昭和48年)4月17日の第71回国会衆議院内閣委員会において外務大臣大平正芳は「内閣総理大臣を日本国の元首としてお迎えするというような国はないと私は思います」と答弁している[18]。
注釈
- ^ 日本国憲法に直接の規定はないが、日本国憲法第70条に「(省略)衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない」とあり、事実上、内閣総理大臣の任期は衆議院議員の任期である1期4年を超えることはない。ただし、通常、内閣総理大臣は与党党首の地位を兼務して与党議員からの信任を得ているため、その政党の内規で党首職に再選制限が設けられている場合、その年限が事実上の任期の上限となることがある。
- ^ 例えば、伊東巳代治による大日本帝国憲法の英訳[8]。
- ^ 実例としては2005年(平成17年)の『郵政解散』の際に小泉純一郎内閣総理大臣が、署名を拒否した島村宜伸農林水産大臣を罷免した例がある。
- ^ 衆議院の解散権が内閣総理大臣の専権事項とされていることについては、『内閣の首長』を参照。
- ^ ただし、大平正芳は、1980年の衆院選で立候補したものの開票前に死去した。事の顛末は第2次大平内閣も参照されたい。
- ^ 政府見解(後述)によれば、憲法66条2項の「文民」とは、次に掲げる者以外の者をいう。
一 旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの
二 自衛官の職に在る者 - ^ 1973年(昭和48年)12月19日(72回国会)の衆議院建設委員会において、大村襄治政府委員(内閣官房副長官)は「政府といたしましては、憲法第六十六条第二項の文民につきましては、「旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの」、それから「自衛官の職に在る者」、この二つを判断の基準にいたしているわけでございます。」と答弁している。
- ^ なお、投票日が任期満了の日以後になり、更に特別国会の召集が憲法の定める最大限度まで遅れた場合首相の在任期間が4年を超えることも制度上はあり得なくはない。
- ^ 「天災その他避けることのできない事故により、投票所において、投票を行うことができないとき、又は更に投票を行う必要があるときは、都道府県の選挙管理委員会(市町村の議会の議員又は長の選挙については、市町村の選挙管理委員会)は、更に期日を定めて投票を行わせなければならない。」との規定である。
- ^ 衆議院を解散すれば内閣総辞職をしなくてもいいが、衆議院議員総選挙が行われ、その後に初めて国会の召集があった時には結局、総辞職をすることになる。衆議院議員総選挙によって首相支持勢力が衆議院議席の過半数を獲得したならば、内閣総理大臣指名選挙で再指名されることにより引き続き内閣総理大臣の職にとどまることができるが、首相支持勢力が過半数を割り内閣総理大臣指名選挙で再指名されない場合は内閣総理大臣を続けることができない。
- ^ 芦田均、細川護熙、羽田孜、村山富市の4名に関しては首相辞任後もしばらく出身党(およびその後継政党)の党首職に留まったものの、いずれも首相辞任から1年未満の短期間で退任している。日本国憲法下において首相辞任後も一定期間党首職を務めた唯一の例は片山哲で、首相辞任後も日本社会党委員長に1年10か月ほど留まった(なお、自民党総裁に関する特殊事例は自由民主党総裁#総理・総裁分離論も参照のこと)。
- ^ 2016年時点では、2005年の郵政解散の際に小泉純一郎首相が島村宜伸農水相を罷免したのが唯一の例。
- ^ なお、このとき内閣総理大臣臨時代理であった伊東正義内閣官房長官は1位で当選している。また、大平の立候補していた旧香川2区には、娘婿の森田一が補充立候補し、これも1位で当選している。
- ^ 後に中央工学校を卒業しているが、当時の中央工学校は学制上の学校ではなかった。
- ^ 羽田はこの他にも太陽党党首・民政党党首も歴任している。
- ^ 内閣総理大臣を退任した者が総裁を除く自由民主党執行部(いわゆる党四役)に就任した事例は2021年現在ないが、谷垣禎一は自民党総裁を退任した後に自民党幹事長に就任している。
- ^ 最も若い任命時点の年号を示す。
- ^ 退陣理由 の()内の数字は歴代数を示す。
- ^ なお、陸軍次官当時、陸軍大臣宇垣一成の病気療養に伴い陸軍大臣代行を務めた。この時は班列として閣員に列しているが、班列は正式な国務大臣ではない。
出典
- ^ “内閣官房組織等英文名称一覧”. 内閣官房. 2020年10月18日閲覧。
- ^ 大辞林 第三版
- ^ 百科事典マイペディア「内閣総理大臣」 コトバンク
- ^ a b c d e 世界大百科事典 第2版「内閣総理大臣」 コトバンク
- ^ a b c 日本大百科全書「元首」
- ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「元首」
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「宰相」 コトバンク
- ^ The Constitution of the Empire of Japan National Diet Library 2021年10月1日閲覧。
- ^ 渡邉譽『日本国憲法』p.198(北樹出版)
- ^ a b 『解散権』 - コトバンク
- ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、218頁
- ^ a b 『七条解散』 - コトバンク
『解散[議会]』 - コトバンク - ^ 法令用語研究会編「有斐閣 法律用語辞典(第3版) 2006, p. 374.
- ^ 長野和夫 2006, p. 170.
- ^ 渡邉譽『日本国憲法』p.36(北樹出版)
- ^ 芦部信喜 2016, p. 47.
- ^ 衆議院憲法調査会 『衆議院憲法調査会報告書』衆議院事務局、2005年4月15日、293頁。
- ^ 衆議院内閣委員会 『第71回国会 衆議院内閣委員会議録』 第16号巻衆議院事務局、1973年4月17日、40-41頁 。
- ^ 参議院予算委員会 平成12年(2000年)4月25日における津野 修内閣法制局長官の答弁。第147回国会 参議院 予算委員会 第14号 平成12年4月25日
- ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、859-860頁
- ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法III(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、216-217頁、219頁
- ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、826-827頁
- ^ 国会法第65条2
- ^ s:親任式及び認証官任命式の次第
- ^ 国会法第64条
- ^ 『尾崎三良自叙略伝』
- ^ 安倍前首相 辞任後も私邸に警察官…異例の2億円警備続くワケ 琉球新報Style 2020年11月12日
- ^ 野田元首相SPゼロにぼやき「ドア開閉の人いない」 毎日新聞 2018年1月18日配信 2021年6月6日閲覧。
内閣総理大臣と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 内閣総理大臣のページへのリンク