全国総合開発計画
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この時代は日本経済が拡大を続け、成長の恩恵があった。いわば、パイが大きくなり、皆が幸せになれる時代とも言えた。佐藤栄作内閣は「社会開発」を掲げた。過密・過疎、公害等の弊害が顕著になってくるのはこの計画末期のことである。
太平洋ベルト地帯「以外」への工業分散を目標として、現実に全国において「工場地帯」の進出がいくつかは進んだが、それらはほとんどが当初は重化学工業であり、その後の石油危機、経済の安定成長、国際競争を経験し、規模・雇用者は当時からは大きく減らしている。40年後の今日、ふりかえって現実をみると、太平洋ベルト地帯の中でも関西圏や北九州の地盤沈下が目立ち、ベルト地帯のその一部に過ぎない首都圏への一極集中(東京一極集中)が進んでいる。
「均衡ある発展」はこの計画の策定当時からの課題であったが、以後、5次にわたる計画においても克服されていない。むしろ、近年では一律に「均衡ある発展」を目指すのは無理があるとの理解のもと、「特色ある発展」と言い換えられるようになっている。
なお、地方開発拠点は、工業開発拠点と並んで強調されたものの、その後具体的な施策の進展はみなかった。
注釈
- ^ カスリーン台風(1947年)、アイオン台風(1948年)、ジュディス台風(1949年)、キティ台風(1949年)、ジェーン台風(1950年)でそれぞれ死者・行方不明者160名以上、家屋全半壊2000戸以上の被害を出した。
出典
- ^ a b c d e f g 峯岸邦夫編著『トコトンやさしい道路の本』日刊工業新聞社〈今日からモノ知りシリーズ〉、2018年10月24日、44 - 45頁。ISBN 978-4-526-07891-0。
- ^ 大来佐武郎、「全国総合開発計画の背景と課題」 『日本地域学会年報』 1962年 1962巻 1号 p.29-39, doi:10.2457/srs1962.1962.29
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