入来院定馨 入来院定馨の概要

入来院定馨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/25 04:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
入来院定馨
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦9年7月29日1759年8月21日
死没 天明4年8月10日1784年9月24日
改名 岩袈裟(幼名)→定馨
別名 通称:隼人
主君 島津重豪
薩摩藩
氏族 入来院氏
父母 父:入来院定勝、母:島津久富養女(島津久寿養妹、本田由親娘)
兄弟 定馨、定凭、嘉弥(町田久慶室)
定矩

生涯

宝暦9年(1759年)7月29日、島津氏の家臣・入来院定勝の長男として生まれる。明和6年(1769年)、父の隠居により家督相続し、入来領主となる。安永9年(1780年)、綾地頭職となる。天明4年(1784年)8月10日没。享年26。

弟・定凭は、定馨の逝去を江戸で知り、帰途の途中伏見で没した。家督は嫡男・定矩が相続した。

定馨の命で寺床湯の山で桜桃の栽培が始められた。

参考文献

  • 「入来村史」



「入来院定馨」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「入来院定馨」の関連用語

入来院定馨のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



入来院定馨のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの入来院定馨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS