保守 日本

保守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 01:05 UTC 版)

日本

明治維新後の中央集権化

明治維新により守旧派の鎖国論者が居なくなったことで、日本は五箇条の御誓文による開国進取の国是を採用し、大規模な西洋化が行われた。政体書では三権分立が謳われた。五箇条の御誓文には「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」という条項が含まれていた。明治元年9月の『大学校御取立ノ御布告』によって「漢土西洋之学ハ共ニ皇道ノ羽翼」であると位置づけられ[39]、皇学の復興により旧来の儒学は排撃され[40]、日本の国体に基づく和魂漢才和魂洋才が叫ばれた。1871年、廃藩置県が行われ、江戸時代の地方分権体制から中央集権へと回帰した。

1872年、福沢諭吉は『学問のすすめ』において、「人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴 (おもむ) くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛 (から) きと寛 (ゆるや) かなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。」との見解を示した[41]。1873年、森有礼は福沢諭吉らの洋学者と共に明六社を結成し、進歩主義的な啓蒙思想を広めた。

一方、1873年に日本がキリスト教を解禁すると、その後、宗教右派が日本にも流入することとなった。

政党誕生後の権力分立化

1881年に国会開設の詔が発布され、その後、政党が誕生し、1890年に大日本帝国憲法が施行されて帝国議会が設置され権力分立が行われると、内閣は超然主義藩閥と、進歩主義 (改進主義) の改進党系と、「自由の大義に仗(よ)り改進の方策に循(したが)」うとする自由改進主義の(立憲)自由党[42]が占めることとなった。保守政党としては「秩序と進歩の並行を求め」ることを標榜した立憲帝政党があった[43]ものの、すぐに解散している。

当時の日本において、政党の区分けは「守旧とは守るに極端にして頑然旧例を固守するものなり、急進とは進むに極端にして進取に鋭意し他を顧みるに遑あらざるものなり、保守とは敢て進まざるにあらずと雖も進歩の中にも秩序を保つを以て第一義とし、改進とは敢て守らざるに非ずと雖も只管現状を改良するを以て第一義と為すものなり」とされていた[44]。また、保守は集権、外交、興産政策を取る傾向にあり、改進 (進歩) は分権、通商、興産不干渉の政策を取る傾向にあるとされていた[44]

1900年伊藤博文は与党として立憲政友会を結成し、日本の政党政治が開始されたが、立憲政友会は旧自由党系の人物が大半を占めており、その綱領には「航海貿易を盛に」「地方自治」などの進歩主義の内容となっていた[45]

第一次世界大戦勃発後の統制主義の芽生え

第一次世界大戦に伴い、日本では物価高騰が起きていった。特に米価格の上昇は問題となり、物価調整が叫ばれた。1917年、日本は農商務省令として暴利取締令を発布した。政府は「自然に生じる需給関係よりして価格の高低を来すのであるからして、これに対して強いて人為を加えて無理に下げる、又無理に引き上げるということは、決して永きに渡っての得策ではない」とするものの、平時の思想は今回の有事に通用しないと説明していた[46]。また、「たとい旧習慣でありましても、今日の場合一般社会に弊害のある点に就きましては、力めて是が改良刷新に努力する積りであります」とも述べていた[47]。しかし、財産所有権や営業の自由を制限する暴利取締令は違憲であるとの指摘が存在した[48]。1918年、米騒動が発生し、1921年、日本は需給調節のための米穀法を発令した。

1925年、日ソ基本条約が締結され日露貿易が再開されると、日本は輸出組合法を制定し[49]、日本政府の支援の下、実業家による対露輸出組合が設立された[50][51]。これは、ソ連側が全露中央消費購買組合 (ツエントロサユーズロシア語版) や国営貿易局 (ゴストルグロシア語版) などによって貿易統制を行っていた[52]ためであり、保守主義によるものではないが、その後も日本の輸出組合は増えていくこととなる。

世界恐慌後の輸出統制

1929年に世界恐慌が起きると、その後、フランスやイギリス等の各国は貿易を関税制から割当制へと移行させ[53]、協定貿易の時代へと突入し[53]、日本も輸出統制を行う必要に迫られた[53]。1931年、日本は業界毎のカルテルトラストを強化するための重要産業統制法を制定し、また、生産統制を行うための工業組合法を公布し[54]、1934年、輸出組合による統制権を強化するための輸出組合法の改正を行い[54]、生産から輸出までの集権化が進んだものの、これら組合は民間で運営されていた。会商による協定ついては、政府によるものと民間によるものの両方が存在した[53]

1934年、日本は進む各国の保護主義への対策のために、報復関税および報復輸入統制のための通商擁護法を制定し、この法律は通商の正常化に効果を挙げたとされる。

国家総動員法後の戦時統制経済

1937年、日中戦争が勃発。

1938年、企画院革新官僚らにより革新 (社会主義) 的な国家総動員法が制定され、日本は国家総力戦体制に突入した。1938年、物品販売価格取締規則が施行され、翌1939年には、価格等統制令が施行され、日本は公定価格及び協定価格制へと移行し、同年、国民徴用令も施行された。しかしながら、旧来の資本主義による巨額の公債の発行で以って戦争を行うことを主張する保守的な意見も存在した[55]

1941年、真珠湾攻撃マレー作戦により太平洋戦争が勃発。

1943年、国民徴用令の改正により社長徴用が行われはじめたほか、同年に軍需会社法が施行され、1944年より軍需融資指定金融機関制度が開始された。

戦後

戦後、「保守」とは語義通りではなく反動復古主義の意味をはらむようになる。

1955年、自由民主党は「立党宣言」の中で秩序の中に前進を目指し[56]、保守政党を謳った。

1959年、文芸評論家福田恆存が、自身の保守観を表明している。

 私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。私の言ひたいことはそれに尽きる。(中略)
 さういふ本質論によつて私は日本の保守党の無方策を弁護しようといふのではない。むしろ逆なのである。保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである。おそらく革新派の攻勢にたいするあがきであらうが、最近、理論的にそれに対抗し、保守主義を知識階級のなかに位置づけようとする動きが見られる。だが、保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。大義名分は改革主義のものだ。もしそれが無ければ、保守派があるいは保守党が危殆に瀕するといふのならば、それは彼等が大義名分によつて隠さなければならぬ何かをもちはじめたといふことではないか。
 保守派は無智といはれようと、頑迷といはれようと、まづ素直で正直であればよい。知識階級の人気をとらうなどといふ知的虚栄心などは棄てるべきだ。常識に随ひ、素手で行つて、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか。 — 福田恆存『私の保守主義観』[57]

1963年、林健太郎が、『現代日本思想大系 35 新保守主義』を編纂した。その解説で林は、保守主義は反動でも悪でもなく、自由主義や社会主義と対抗しながら一貫して存在を保ってきたものであり、19世紀に保守主義が自由主義と対立したのとは異なって、労働組合を基盤とした社会主義に対抗するものとした[58][59]。これらの立場は自由民主党だけでなく、近年における希望の党などによる緑の保守主義も重視する。

その後、1980年代の米国のロナルド・レーガン、英国のマーガレット・サッチャー、西ドイツのヘルムート・コールとともに、中曽根康弘政権は新保守主義と呼ばれた。さらに、小泉純一郎政権以後の自民党では、中曽根内閣の流れを踏襲した新自由主義経済の親米保守新保守主義が主体となった。

丸山眞男によれば、「日本の保守主義とはその時々の現実に順応する保守主義(=現実主義)で、フランスの王党派のような保守的原理を頑強に固守しない」[60]とされる。これについて中村宏は「日本人の多くに伝統的に共有されてきた、状況ないし事態の流れに順応し、権威主義的でそのときどきの権力に従う処世観「従う政治文化」」、つまり事大主義が日本の政治風土の特徴であり、価値観を持たない「仕方がない」と「状況と立場」の文化があると説明する[61]

2010年、自由民主党は新綱領において天皇を奉じ、日本人は国への帰属意識を持つ国民である・「日本らしい日本を確立する」と謳った[62]

中野剛志はバークは、『フランス革命の省察』で社会を合理的なものへとラディカルに変えようとすること自体に反対し「保守主義の父」とみなされるようになった、バークが「保守」の元祖となったのは、社会を抜本的に変えることに反対したからであるとし、過去30年間自由民主党がラディカルな変化を唱えたり、「構造改革」・「抜本的改革」を掲げてきた日本では、「保守」という言葉の使い方がデタラメであるとしている[63]


  1. ^ 保守、goo辞書
  2. ^ 保守主義、goo辞書
  3. ^ BBC: エドマンド・バーク (1729年 - 1797年)(英語)
  4. ^ The Scary Echo of the Intolerance of the French Revolution in America Today(英語)
  5. ^ a b モンテスキューの作品における法と正義 : 法制史と法理論の交差する読解
  6. ^ a b 杉本竜也「政治思想・政治哲学としての保守主義における価値 イギリス・アメリカの保守主義を中心に」日本大学政経研究 49(4),p523
  7. ^ 杉本竜也「政治思想・政治哲学としての保守主義における価値 イギリス・アメリカの保守主義を中心に」日本大学政経研究 49(4),p540
  8. ^ 杉本竜也「政治思想・政治哲学としての保守主義における価値 イギリス・アメリカの保守主義を中心に」日本大学政経研究 49(4),p542
  9. ^ : constant force
  10. ^ Viscount Hailsham. The Conservative Case. Middlesex: Penguin Books, 1959. (英語)
  11. ^ 原語では前者が固有名詞(大文字で始まる表記)、後者が普通名詞(小文字で始まる表記)となっている。ヒュー・セシル『保守主義とは何か』早稲田大学出版部
  12. ^ マイケル・オークショット「保守的であるということ」(『政治における合理主義』所収、石山文彦訳、勁草書房、1988年、200頁)
  13. ^ Huntington, S. 1957. Conservatism as an ideology. in American Political Science Review 51:454-73.
  14. ^ アンソニー・クイントン『不完全性の政治学』東信堂、p10-11
  15. ^ a b c 杉本竜也「政治思想・政治哲学としての保守主義における価値 イギリス・アメリカの保守主義を中心に」日本大学政経研究 49(4),p527-8
  16. ^ a b 杉本竜也「政治思想・政治哲学としての保守主義における価値 イギリス・アメリカの保守主義を中心に」日本大学政経研究 49(4),p529-530
  17. ^ Eccleshall, p. ix, 21
  18. ^ Eccleshall, p. 2
  19. ^ : Taxation No Tyranny
  20. ^ : Patriarcha or the Natural Power of Kings
  21. ^ Eccleshall, pp. 21-25
  22. ^ Eccleshall, p. 31
  23. ^ Eccleshall, p. 43
  24. ^ 二宮元「イギリスのニューライト : 新自由主義と新保守主義」2010年、一橋大学
  25. ^ 藤森かよこ「アメリカにおける保守主義の 誕生とアイン・ランドの交点」福山市立大学『都市経営』1号,2012年pp5-20
  26. ^ 藤森かよこ「衝動から思想へ-アメリカ保守主義の誕生とハイエク『隷属への道』」都市経営No.3(2013)pp.22
  27. ^ 落合仁司『保守主義の社会理論 ハイエク、ハート、オースティン』勁草書房1987,p141
  28. ^ : The conservative mind, from Burke to Santayana
  29. ^ 杉本竜也「政治思想・政治哲学としての保守主義における価値 イギリス・アメリカの保守主義を中心に」日本大学政経研究 49(4), p538, 2013
  30. ^ : conservative impulse
  31. ^ 藤森かよこ「衝動から思想へ-アメリカ保守主義の誕生とハイエク『隷属への道』」都市経営No.3(2013)pp.9-26
  32. ^ http://www.ppionline.org/documents/equality_lipset.pdf(英語)
  33. ^ Gross and Simmons 2007,p33,Rothman et al.2005,p6,Klein and Stern2009
  34. ^ a b c d e ブライアン・カプラン、月谷真紀訳 『大学なんか行っても意味はない? 教育反対の経済学』みすず書房、2019,pp.346-350.
  35. ^ Rothman et al.2005,pp5-6
  36. ^ Gross and Simmons 2007,pp31-32.
  37. ^ Cardiff and Klein,2005,p243,Gross and Simmons 2007
  38. ^ Moe,2011,pp84-87.
  39. ^ 維新精神史研究 P.421 徳重淺吉 1934年
  40. ^ 維新精神史研究 P.423 徳重淺吉 1934年
  41. ^ 福沢諭吉 学問のすすめ 福沢諭吉
  42. ^ 明治憲政史 (上巻) P.321-322 工藤武重 1914年
  43. ^ 犬養木堂伝 上巻 P.208-209 鷲尾義直 1938年
  44. ^ a b 東京専門学校参考書 政治原論 桃浪書院蔵版 P.304-305 市島謙吉 1889年
  45. ^ 立憲政友会史 第壹巻 伊藤総裁時代 P.11-12 小林雄吾 1924年
  46. ^ 第四十囘帝国議会に於ける暴利取締令舌戦録. 上巻 P.8-9 益川保次郎 1918年
  47. ^ 第四十囘帝国議会に於ける暴利取締令舌戦録. 上巻 P.14 益川保次郎 1918年
  48. ^ 暴利取締令と違憲問題 神戸又新日報 1918年2月8日
  49. ^ 輸出組合 コトバンク
  50. ^ 日露条約成立と対露輸出組合計画 中外商業新報 1925年1月31日
  51. ^ 政府の了解を得て対露輸出組合進捗 時事新報 1926年2月3日
  52. ^ 社会主義サヴェート共和国同盟の現勢 P.71-72 山川均 1928年
  53. ^ a b c d 貿易政策論 P.220-222 浜田恒一 1934年
  54. ^ a b 貿易政策論 P.223 浜田恒一 1934年
  55. ^ 電力問題の背後 P.48-49 小林一三 1938年
  56. ^ 立党宣言・綱領 自民党
  57. ^ 『読書人』1959年6月19日、『保守とは何か』2013年10月20日、pp.180-184。
  58. ^ 林健太郎「現代における保守と自由と進歩」。「現代日本思想大系35 新保守主義」の解説
  59. ^ 批判的合理主義と自由主義/保守主義:林健太郎のポパー論」秋田大学教育文化学部研究紀要57巻 p 41 - 50、2002年
  60. ^ 「日本人の政治意識」『集』第3巻328ページ
  61. ^ 中村「占領下での「民主化」と日本の「従う政治文化」」(神戸学院法学第34巻第1号2004-4)
  62. ^ 平成22年(2010年)綱領 自民党
  63. ^ 結局、昭和の政治のほうがずっとマシだった…「平成の保守」がデタラメな改革を繰り返した根本原因”. PRESIDENTOnline. 2022年10月19日閲覧。
  64. ^ 米で人種・民族憎悪犯罪目立つ オバマ政権や不況影響か Archived 2009年6月23日, at the Wayback Machine.アサヒコム2009年6月21日






保守と同じ種類の言葉


品詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「保守」の関連用語

保守のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



保守のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの保守 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS