三谷典正 三谷典正の概要

三谷典正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 14:08 UTC 版)

競輪選手の三谷政史(93期)は長男、三谷将太(92期)は二男、三谷竜生(101期生)は三男で、実子3人の師匠となっている。他には娘(三谷三兄弟の妹)がいる。

戦績

東山高校在学中からラグビー部に所属し、法政大学ラグビー部では主にセンター(CTB)のポジションで、1978年度、1979年度の関東大学ラグビーリーグ戦グループで優勝を経験し、当人は79年度の同リーグ戦グループのベストフィフティーンに選出された。また、1980年には、ラグビーアンダー23(U23)日本代表に選出された[1]

大学卒業後も本田技研鈴鹿でラグビーを続けていたが、1980年のレークプラシッドオリンピック・スピードスケート代表選手であった市村和昭(48期)が競輪選手に転身するニュースを知るや、自身も競輪選手を志望することとなり、師匠である杉田耕一郎(8期)に師事した後、日本競輪学校に第49期生として入学した。同期に小門洋一らがいる中で在校成績48位で卒業している。

1982年5月13日一宮競輪場でデビューし2着。初勝利は同月14日の同場。その後は長らくS級選手として活躍し、1986年から1996年頃まで常時特別競輪(現在のGI)に出場。GIIでは2002年ふるさとダービー松阪の出場が最後となる。

日本競輪選手会滋賀支部の支部長を長年に亘り務めてきたが、ホームバンクであった大津びわこ競輪場廃止後の2012年8月28日に三男の竜生と共に奈良に登録地を変更している。

その後2014年6月28日岐阜競輪場第4R・A級チャレンジ選抜戦での4着を最後の競走として、同年7月7日に選手登録を消除し引退。通算成績2708戦282勝。

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