三島弥彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 08:11 UTC 版)
人物
育ちのためか、性格はスポーツマンにしてはおっとりしていた。天狗倶楽部の中心人物であった小説家の押川春浪は「三島君は大の楽天家である。暢気な先生である。度量の大きい、些事に無頓着なあくまでも鷹揚な人である」と評している。
また、多方面に通じたスポーツマンであったことから学生や若者からの人気は高く、雑誌『冒険世界』が行った「痛快男子十傑投票」という読者投稿企画では、運動家部門で1位に選ばれている[33]。
妻の文子の祖父は、幕末の肥前佐賀藩主、鍋島直正である。また、生家の三島家を通して、元勲・大久保利通、首相経験者の吉田茂、麻生太郎両名とも親戚である。なお、麻生太郎は1976年のモントリオール五輪に日本代表として出場している。
関連作品
『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(2019年 演:生田斗真) 日本初のオリンピック出場者として生田演じる弥彦が登場する。
参考文献
- 『武侠世界 第3号』武侠世界社
- 池井優 『オリンピックの政治史』 丸善ライブラリー
- 日本体育学会 『近代日本体育史』 浅見文林堂
- 朝日新聞社 『朝日新聞100年にみるスポーツ人物誌』 朝日新聞出版
- 毎日新聞社 『明治毎日ニュース事典』 毎日コミュニケーションズ
- 横田順彌『[天狗倶楽部]快傑伝 元気と正義の男たち』 朝日ソノラマ 1993年
- 内藤一成 著「三島弥彦伝」、尚友倶楽部史料調査室・内藤一成・長谷川怜 編 編『日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦 ―伝記と史料―』芙蓉書房出版〈尚友ブックレット34〉、2019年1月15日、7-76頁。ISBN 978-4-8295-0752-0。
- 長谷川孝道『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版』熊本日日新聞社・熊本陸上競技協会、2013年8月20日、347頁。ISBN 978-4-87755-467-5。
関連項目
- ^ a b 内藤 2019, p. 30.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年) p.672
- ^ 内藤 2019, pp. 8–12.
- ^ 内藤 2019, p. 16.
- ^ 『土方梅子自伝』早川書房、1976年、p36
- ^ 内藤 2019, pp. 10–42.
- ^ 内藤 2019, p. 43.
- ^ 内藤 2019, pp. 40–41.
- ^ 内藤 2019, p. 51.
- ^ 内藤 2019, p. 54.
- ^ 内藤 2019, p. 52.
- ^ 内藤 2019, p. 53.
- ^ 内藤 2019, p. 57.
- ^ 内藤 2019, pp. 58–59.
- ^ 内藤 2019, p. 61.
- ^ 『「日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦─伝記と資料─ 尚友ブックレット34」中、三島通陽宛三島弥彦絵葉書(1912年7月)』芙蓉書房出版、2019年。
- ^ 産業経済新聞(昭和27年6月26日付)
- ^ 日本放送協会東京中央放送局(NHK)より昭和11年6月27日に行った「国民講座・オリンピック大会の回顧」講演放送の三島弥彦自筆原稿。尚友倶楽部資料調査室他編「日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦─伝記と資料─」から。
- ^ a b 内藤 2019, p. 66.
- ^ a b 内藤 2019, p. 67.
- ^ 長谷川 2013, p. 211.
- ^ 内藤 2019, pp. 66–67.
- ^ 内藤 2019, pp. 68–69.
- ^ 内藤 2019, p. 70.
- ^ 『産業經済新聞』1952年6月26日号 「ストックホルムオリンピック追憶リレー 11 トラック」
- ^ 『スポーツ毎日』1953年5月2日号 三島弥彦・上野徳太郎・水野可寛「三島彌彦翁・スポーツ放談」
- ^ 内藤 2019, pp. 225–243.
- ^ 生田斗真演じる三島弥彦の素顔は 五輪後はエリート行員 2019年2月22日15時56分 - 『朝日新聞』 堀川貴弘
- ^ 内藤 2019, pp. 73–74.
- ^ 内藤 2019, p. 72.
- ^ 内藤 2019, pp. 72–73.
- ^ a b 内藤 2019, p. 73.
- ^ 内藤 2019, p. 45.
固有名詞の分類
- 三島弥彦のページへのリンク