ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレの概要

ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 09:49 UTC 版)

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ヴィッラ・ロマーナ・
デル・カサーレ
イタリア
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに残るモザイク画
英名 Villa Romana del Casale
仏名 Villa romaine du Casale
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(2),(3)
登録年 1997年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
イタリア内の位置

概要

ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレの建設が始まったのは4世紀のはじめの頃と推測されている。周辺のラティフンディアを含めた中心の別荘地としての建設されたものと考えられる。実用として用いられていたのは約150年に満たない期間であるが、それでもなお、東ゴート王国ヴァンダル王国ビザンツ帝国アラブ人と次々と支配者が変わる中でも、人々は居住してきた。

ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレが完全に放棄されたのは、12世紀の頃であり、当時、ヴィッラに居住していた住民は現在のピアッツァ・アルメリーナに移動したと考えられる。

ヴィッラのことは完全に忘れられ、また、ヴィッラの地域は農地へと一部転じていた。19世紀の早い段階で、数本の円柱が再発見された。その後、19世紀中に発掘作業が何度か実施されたが、本格的な発掘は、1929年と1935年から39年の2回の発掘作業を待たなければならなかった。

その後も、1950年代から60年代に大規模な発掘作業が実施され、現在の形を見せるようになった。その後も1970年代に小規模ながら発掘作業が実施された。

建設目的

ヴィッラの建設目的は、複数考えられているが、1つは住居用の目的であり、ヴィッラの持ち主であるラティフンディアの農園経営者の邸宅というものである。また、公的な目的として役所の機能を果たしたとも考えられている。ただ、少なくとも商業的あるいは生産目的で建設されたとは考えられていない。




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