ロンドン旅客運輸公社 ロンドン旅客運輸公社の概要

ロンドン旅客運輸公社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/04 08:48 UTC 版)

ロンドン旅客運輸公社
London Passenger Transport Board
ロンドン旅客輸送地域
設立 1933年(1933年ロンドン旅客運輸法)
解散 1948年(1947年運輸法英語版
種類 公共事業体
目的 輸送事業
本部 55 Broadway, Westminster, London
貢献地域 ロンドンおよびチャリング・クロスから30マイル(約48キロメートル)以内
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歴史

ロンドン旅客運輸公社は、1933年4月13日に制定された1933年ロンドン旅客運輸法によって設立された[1]。法案は1931年まで労働党政権の運輸大臣を務めていたハーバート・モリソン英語版により提出された。この法案はハイブリッド・ビル英語版(公私混合法案、特定の個人や組織の財産に影響を与える法案)であるとして、次の政権下の新しい議会まで議決を延期することができた。しかし新政権でも、保守党が多数を占めていた上に私有の事業を公的部門に大規模に移管する法案であったにもかかわらず、大きな変更を加えないことが決定された[要出典]。1933年7月1日に、ロンドン旅客運輸地域を担当するロンドン旅客運輸公社が発足した[1]

法律により、チャリング・クロスから半径約40キロメートルの範囲はロンドン旅客運輸地域と設定され、この地域内の幹線鉄道とタクシー以外のすべての旅客運輸事業が国有化され、ロンドン旅客運輸公社が独占的に旅客輸送を行うことになった[2]

委員会

ロンドン旅客運輸公社は、委員長と6人の委員からなる委員会が運営していた。委員は法律で指定された5人の任命管理者が共同で選ぶことになっていた。

法律では委員に「交通、産業、商業、財務上の問題および公務の遂行に関して幅広い経験を持ち、能力を発揮した人、および委員2名については、ロンドン旅客運輸地域内の自治体で6年以上の経験を持つ人物であること」と定めていた[3]

最初の委員長および副委員長は、それぞれアルバート・スタンリー英語版(アシュフィールド卿)とフランク・ピック英語版が務めたが、彼らはロンドン地下電気鉄道(通称地下鉄グループ)において同様の地位を務めていた人物であった。委員は3年から7年の間の任期があり、再任の可能性もあった。

委員

  • アシュフィールド卿 1933年 - 1947年[3][4]
  • フランク・ピック 1933年 - 1940年[3][4]
  • ジョン・ギルバート(ロンドン市議会) 1933年 - 1934年[3]
  • エドワード・ホランド(サリー議会) 1933年 - 1939年[3][5][6]
  • パトリック・アシュリー=クーパー(イングランド銀行重役、後にハドソン湾会社総督)[3]
  • ヘンリー・メイベリー英語版(土木技術者、ロンドンおよび周辺諸州輸送諮問委員会委員長)1933年 - 1943年[3]
  • ジョン・クリフ英語版運輸一般労働組合英語版書記)1933年 - 1947年[3]
  • チャールズ・レイサム英語版(ロンドン市議会)1935年 - 1947年[7][8]
  • フォレスター・クレイトン 1939年 - 1947年[9]

レイサムとクリフは、1947年にロンドン旅客運輸公社の後継組織、ロンドン・トランスポート経営委員会英語版の委員長と副委員長に就任した。

ロンドン旅客運輸地域

ロンドン旅客運輸地域は、チャリング・クロスから半径約30マイル(約48キロメートル)の範囲で、後に公式にグレーター・ロンドンとなる地域よりも外まで広がっており、北はバルドック英語版、東はブレントウッド英語版、南はホーシャム、西はハイ・ウィカムまでの範囲であった。

ロンドン旅客運輸地域 1933年–1947年

ロンドン旅客運輸地域は図の赤線の範囲で、黒い破線の範囲内の「特別地域」ではロンドン旅客運輸公社が域内道路公共輸送の独占権を持っていた。当時のロンドン警視庁の管轄範囲は青い破線で、ロンドン郡の範囲はグレーで示されている。ロンドン旅客運輸公社が域外まで運行することを許可されていた道路は赤い破線で示されている。

特別地域内でロンドン旅客運輸公社が運行する便には道路運送許可を必要とせず、いかなる個人・企業ともこの範囲ではロンドン旅客運輸公社から書面での許可を得なければ道路運送業を営むことはできなかった。特別地域外のロンドン旅客運輸地域では、ロンドン旅客運輸公社は道路運送許可を必要とした[10]


  1. ^ a b Cooke, B.W.C., ed (September 1964). “The Why and the Wherefore: London Transport Board”. en:Railway Magazine (Westminster: Tothill Press) 110 (761): 739. 
  2. ^ 『都市交通の世界史』pp.74 - 75
  3. ^ a b c d e f g h Plummer, Alfred (November 1933). “The London Passenger Transport Act of 1933: A New Socialization”. The Quarterly Journal of Economics 48 (1): 181–193. 
  4. ^ a b LPTB Chairman, The Times, 18 April 1940
  5. ^ Obituaries: Sir John Gilbert, The Times, 24 December 1934
  6. ^ Obituary: Sir Edward Holland, The Times, 28 December 1939
  7. ^ New member of LPTB, The Times, 26 January 1935
  8. ^ LPTB appointments, The Times, 10 December 1937
  9. ^ LPTB appointments, The Times, 14 March 1939
  10. ^ The History of British Bus Services, John Hibbs, Second Edition, Newton Abbot, 1979
  11. ^ London's Trams and Trolleybuses, John R. Day, published by London Transport 1979
  12. ^ “Main-Line Companies Dissolved”. The Railway Magazine (London: Transport (1910) Ltd) 9 (586): 73. (February 1950). 


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