ヨハン・アウグスト・ワールベリ ヨハン・アウグスト・ワールベリの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハン・アウグスト・ワールベリの解説 > ヨハン・アウグスト・ワールベリの概要 

ヨハン・アウグスト・ワールベリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 15:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
Porträt von Johan August Wahlberg

略歴

ヴェストラ・イェータランド県のLagklarebäckに生まれた。商人であった父親を9歳で失くし、母親も2年後に没した。リンシェーピングの高校を出た後、1829年からウプサラ大学で化学を学ぶが1年後、林業農学に転じた。1832年に昆虫学者ボーマン英語版(Carl Henrik Boheman)とノルウェーの調査を行った。1833年1834年には森林調査のためにスウェーデン、ドイツを旅した。測量師としての資格も1834年に得た。1836年に技師の資格を得て、測量師の学校で、自然科学を教えた[1]

1838年から1856年の間、アフリカ南部を旅し、何千という動物や植物の標本をスウェーデンに送った。その中にはゾウサイキリンといった大型の動物標本や鳥の標本、8,000を超える昆虫の標本が含まれた。1856年3月に現在のモザンビークを流れるリンポポ川上流を探検中に、手負いの象に襲われて死亡した[1]

ワールベリの死亡のニュースがスウェーデンに届くのが遅れたので、1856年10月、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に死亡していた人物が選ばれた唯一の例となった。

オオコウモリ科の種、Epomophorus wahlbergiや、ヤモリ科の種、Homopholis wahlbergiiカマキリ目の昆虫 Pseudocreobotra wahlbergiなどワールベリが発見した多くの動物の学名に名前が残されている。

著作

  • Bref från naturforskaren. In: Öfversigt af Kongl. Vetenskaps-akademiens forhandlingar. Bd. 11, Nr. 5, 1854, S. 159–163

出典


  1. ^ a b Freiherr Gustav von Düben, Erinnerung an Johan August Wahlberg, in: Zeitschrift für Allgemeine Erdkunde, 2. Band, Verlag Dietrich Reimer, 1857, S. 329–368


「ヨハン・アウグスト・ワールベリ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハン・アウグスト・ワールベリ」の関連用語

ヨハン・アウグスト・ワールベリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハン・アウグスト・ワールベリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハン・アウグスト・ワールベリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS