ヨアン・プレ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Yohann Pelé | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1982年11月4日(38歳) | |||||
出身地 | セーヌ=エ=マルヌ県ブルー=シュル=シャントレーヌ | |||||
身長 | 196cm | |||||
体重 | 89kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | オリンピック・マルセイユ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 16 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2009 | ル・マン | 164 | (0) | |||
2009-2012 | トゥールーズ | 18 | (0) | |||
2014-2015 | ソショー | 49 | (0) | |||
2015-2021 | マルセイユ | 61 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2003 | フランスU21 | 2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年7月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
兄のスティーヴン・プレも、ル・マンやグルノーブルなどに在籍したサッカー選手(DF)である。
経歴
2002-03シーズンにデビュー。デビュー戦のFCイストル戦を1-0の完封で飾る。2004-05シーズンからル・マンの正GKとなり、チームのリーグ・アン昇格に貢献した。リーグ・アンデビューとなった05-06シーズンには好セーブを連発して脆さの見られる守備組織を支え続け、最終節のオリンピック・リヨン戦にて8失点を喫するまでリーグ最少失点(37節終了時で28失点)という結果を残し、チームの1部残留に貢献した。
シーズン終了後はアーセナルFCなど、多くのトップクラブから注目を集めたもののチームに残留。06-07シーズン以降は時折不安定なプレーを見せるものの、絶対的な守護神としてル・マンのゴールマウスを守り続けた。なおル・マンでは07-08シーズンまで松井大輔とともにプレーした。
2009年6月29日に10年間在籍したル・マンを離れ、FCジロンダン・ボルドーへと去ったセドリック・カラッソの後釜としてトゥールーズFCへ4年契約で移籍した。
2010年10月12日の練習中に体調不良を訴え、検査の結果「肺血栓塞栓症」と診断され、チームを離れることになった[1]。その後2シーズン出場機会はなく2012年5月9日に退団が発表された。
フランス代表としては2008年10月14日の親善試合・チュニジア戦で初招集を受けるも出場機会はなく、現在に至るまで出場したことはない。
脚注
- ^ 引退の危機と戦うヨアン・プレ qoly.jp 2010年12月12日
- 1 ヨアン・プレとは
- 2 ヨアン・プレの概要
固有名詞の分類
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