ミゲル・ダ・パス ミゲル・ダ・パスの概要

ミゲル・ダ・パス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 06:40 UTC 版)

ミゲル・ダ・パス
Miguel da Paz
ポルトガル公
アストゥリアス公
ジローナ公
在位 1498年 - 1500年

出生 (1498-08-23) 1498年8月23日
アラゴン王国
サラゴサ
死去 (1500-07-19) 1500年7月19日(1歳没)
カスティーリャ王国
グラナダ
埋葬 カスティーリャ王国
グラナダ
王室礼拝堂
家名 アヴィス=ベージャ家
父親 ポルトガルマヌエル1世
母親 イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ
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生涯

マヌエル1世王とイサベル王妃の間の長男としてサラゴサに生まれた。誕生した時点でポルトガルの王位継承者となり、また誕生したその日に産褥死した母イサベルからカスティーリャ=レオンおよびアラゴンといったスペイン諸王国の王位継承者の地位をも引き継ぐことになった。ミゲルは非常に色白で、青い目と赤みがかった金髪を持つ王子であった。2歳の誕生日を迎える直前にグラナダで死去し、同市の王室礼拝堂に葬られた。

父マヌエル1世はミゲルの死の3カ月後、亡きイサベル王妃の妹マリアと再婚し、ジョアン3世をはじめ10人もの子供をもうけている。ミゲルの死により、期待されていたイベリア半島の完全統合の可能性は消えた。ミゲルの死後、スペイン諸王国の王統を継いだのは叔母の1人フアナであり、フアナを通じてそれらの王位はハプスブルク家にもたらされた。

1580年にアヴィス王朝が断絶したとき、フアナ女王、およびマヌエル王とマリア王妃の共通の孫であるフェリペ2世により、カスティーリャ側がポルトガルを併合する形で、1640年まで続くイベリア連合を成立させた。

先代
ジャイメ
ポルトガル公
1498年 - 1500年
次代
ジョアン3世
先代
イサベル
アストゥリアス公
1498年 - 1500年
空位
次代の在位者
フアナ
先代
フアン
ジローナ公
1498年 - 1500年



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