マンデー・ナイト・ウォーズ 1998年:マクマホンの反撃

マンデー・ナイト・ウォーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 04:46 UTC 版)

1998年:マクマホンの反撃

モントリオール事件

"ヒットマン"・ブレット・ハート

1997年のPPV『サバイバー・シリーズ 1997』では、当時WWF王者でWCWとの契約が決まっていたブレット・ハートがマクマホンの裏切りにあった。のちにモントリオール事件と呼ばれるプロレス界の一大事件となった。自分の地元カナダでのタイトルマッチ、そして実生活でも確執のあるショーン・マイケルズと試合を組まれたハートとしては、引き分けか勝利をした上で王座を返上し、WCWに移籍をしたかった。ブック上はハートの望み通りに進んだが、試合はマイケルズがシャープ・シューターを仕掛けたところで、ビンスの指示によってゴングが鳴らされ、ハートは負けとなってしまった。

この事件は、多くのスター選手を抱えるWCWと、団体に不満を持つハートに対するWWFの報復として目に映り、批判された。事実、事件後にはジム・ナイドハートリック・ルードブライアン・アダムスなど数名のWWFの選手が団体を去った。1997年11月17日、きれいにヒゲを剃ったリック・ルードがナイトロの生放送に登場し、WWFを「タイタニック」と揶揄し、名指しでマイケルズを批判した。その1時間後、6日前に収録した試合を放送していたロウで、ヒゲを剃ってないルードが現れた。

その一方で、ワシントンD.C.でのWCWの『スターケード』では、メインイベントにハルク・ホーガン対スティングの試合が行なわれ、団体史上最高の視聴率をたたき出していた。

アティテュード時代

ストーン・コールド・スティーブ・オースチン

毎週ナイトロに負け続けるロウであったが、スティーブ・オースチンをWWF王者にしてからは視聴率は回復していた。1998年の春までに、視聴率戦争はWWFが優位に立った。WWFは、この時期、番組タイトルの会社ロゴには "WWF Attitude" という文字が使われたため、のちに「アティテュード時代」と呼ばれる時代に入っていた。

この時代の特徴は、ビンス・マクマホンとライターのビンス・ルッソーの双頭政治の時代と言える。マクマホンはモントリオール事件以降、「ミスター・マクマホン」という名で、彼の選んだヒールとともに好き勝手に団体を支配するという「悪のオーナー」のキャラクターを演じるようになった。さらにマクマホンはオースチンとの長い抗争を始めた。この二人の抗争は、まさにWWFを救うことになった人気アングルであった。『レッスルマニア14』で、オースチンが彼にとって初めてのWWF王座を獲得した日は、1時間目にはロウはナイトロに勝つことができたが、2時間目では維持することができなかった。トータルではこの日はWCWが勝利した。その後接戦が続き、ついに1998年4月13日、ロウは1996年6月10日以来、初めてナイトロに勝利した。この日はオースチンとマクマホンの試合が組まれたのだが、ミック・フォーリーが上がってオースチンを攻撃し、試合自体が行なわれなかった。この頃、ロウには新しいキャラクターが頭角を現してきていた。ミック・フォーリーはマンカインドとして活躍し、またベビーフェイスのロッキー・メイビアはヒールターンしてザ・ロックになり、ネーション・オブ・ドミネーションのメンバーとして目立った。ベテランのアンダーテイカーは、ケインとの「兄弟」抗争が人気だった。レッスルマニア14の後、背中の負傷で引退したマイケルズに代わり、トリプルHがDXのリーダーとなりニュー・エイジ・アウトローズと、WCWから戻って来たX-パックを加えてDX軍となった。

1998年4月27日のナイトロは、DX軍による有名なアングルとして記憶に残る。この夜、ナイトロはバージニア州のノーフォーク・スコープにて収録され、一方のロウ・イズ・ウォーは、距離的に近いハンプトン・コロシアムでの収録だった。DX軍はその日の興行が行なわれる前に、メンバー全員で戦闘用のジープに乗ってナイトロの会場までアポなしで「侵略」し、エリック・ビショフとの面会を要求したが、警備員に入場を拒否された。拡声スピーカーで「WCWなんて格下の団体の試合なんて見る必要ねえよ。WWFこそ最高だ」「(観戦に来ていた客に向かって)このチケットは購入したんじゃなくてWCWがバラ撒いたタダ券だよな?」といったマイクパフォーマンスで、WCWのネガティブキャンペーンとWWFの宣伝を行ってから、ロウの会場に戻った。

WWFはアングルとキャラクターの設定を、大人向けにシフトして、ロウの視聴率を順調に伸ばした。

WCWの復活の試み

1998年のビル・ゴールドバーグの連勝はWCWの視聴率を救った

マクマホンとオースチンの抗争に危機を感じたWCWはnWoを二つに分けた。ホーガン率いるnWoハリウッド派と、ナッシュ率いるnWoウルフパック派である。

WCWの視聴率を回復する試みは続いた。元NFLのフットボール選手のビル・ゴールドバーグを「怪物」に仕立て上げた。ゴールドバーグの驚異の174連勝が始まると、すぐに人気は回復した。ゴールドバーグがホーガンをピンフォールしてWCW世界ヘビー級王者になった1998年7月6日やリック・フレアーがフォー・ホースメンを復活させた9月14日などでWCWは視聴率戦争に勝利した。なお、結果的にWCWの最後の勝利となった10月26日の放送は、ダイヤモンド・ダラス・ペイジとゴールドバーグの世界タイトルマッチであった。

この時期、ケビン・ナッシュがブッキング上で大きな力を持ち、1998年11月の『ワールド・ウォー3』のバトルロイヤルで勝利した後、翌月の『スターケード1998』でゴールドバーグの連勝を止めて、世界王者となった。ナッシュ自身は否定するが、彼のブッキングにはレスラー仲間からも批判されていたことを、エディ・ゲレロの自伝『Cheating Death, Stealing Life: The Eddie Guerrero Story』で裏付けられている。ナッシュの王座奪取は、結果的にWCWの衰退の始まりへとつながった。







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