ホーリング 経歴

ホーリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 01:40 UTC 版)

経歴

デビューは遅く、3歳になった1994年7月に初出走を果たし、4戦目となった8月のリポン競馬場で行われたハロゲートハンデキャップで初勝利を挙げた。ここから連勝劇が始まり、10月のケンブリッジシャーハンデキャップまで3連勝を果たしている。

その1994年の12月に、ゴドルフィンシェイク・モハメドに購入され、厩舎もジョン・ゴスデンのもとからドバイサイード・ビン・スルール厩舎へと移籍した。同年の年末よりナドアルシバ競馬場ダートの競走を3戦し、1995年の年初にはマクトゥームチャレンジのラウンド1・ラウンド2(当時格付けなし)で優勝、連勝の記録を伸ばした。

1995年7月、ホーリングはサンダウンパーク競馬場エクリプスステークスに出走、初めてのG1競走挑戦となった。ホーリングは8頭立ての5番人気であったが、ウォルター・スウィンバーン騎乗のもとでスタートからずっと先頭を走り続け、最後の直線で追いすがった2着馬シングスピールからクビ差で逃げ切って優勝、初挑戦にしてG1馬の称号を手に入れた。

続くヨーク競馬場インターナショナルステークスでも逃げを打ち、最後の直線では2着のバーリ以下を大きく突き放して伸び、3馬身半差で連勝記録を8に伸ばした。しかし、その年最後の競走となったブリーダーズカップ・クラシックではスタートから先頭を奪えず中団につける羽目になり、さらにコーナーで大きく外を回らされたことも影響して、最後の直線を前に失速、勝ち馬のシガーから大きく離された最下位11着と惨敗を喫した。

翌年1996年も3月のナドアルシバ競馬場より始動、現地のステークス競走を快勝して、その翌戦にこの年より創設されたドバイワールドカップを選んだ。しかし再びシガーと競走することになり、そして再び先頭を奪えず、さらにここでもシガーの優勝から遠く離れた最下位11着に敗れた。

この後ホーリングは再びヨーロッパに戻り、5月のロンシャン競馬場で行われたイスパーン賞では得意の逃げ切りで久々のG1勝ちを収めた。続くエクリプスステークス・インターナショナルステークスもそれぞれ連覇し、チャンピオンステークスボスラシャムの2着に敗れたところでその年の競走を終えた。ホーリングはこの年をもって引退し、デュラハムホールスタッドで種牡馬入りした。この年のカルティエ賞表彰において、ホーリングは最優秀古牡馬部門を受賞した。

引退後は1997年から種牡馬として活動し、後の2005年よりドバイのエミレーツスタッドに移動している。 代表産駒には2009年パリ大賞典優勝馬キャヴァルリーマン2010年ガネー賞優勝馬カットラスベイがいる。

2016年2月2日にDalham Hall Studで死去した[1]


  1. ^ a b Godolphin's Halling Dies at Age 252019年2月15日閲覧。


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