ベルリン・スポーツ宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 04:33 UTC 版)
戦争
政治関連の最重要な出来事に、1943年2月18日にゲッベルスが行った「スポーツ宮殿演説」がある。スターリングラードでの敗北を経た国民に「総力戦」を誓って支持するよう求めるものであった。
ヒトラーが「千年王国」の9周年を記念し行った演説では、ナチ党の機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』紙が報じるように、会場にスポーツ宮殿を選んだのは、この場所が闘争と苦難、そして最後の勝利と同義であるため、とした。この演説のちょうど2年後、またナチ党の権力掌握11年周年のまさにその日、1944年1月30日にスポーツ宮殿に爆弾が落ちた。瓦礫は大戦中に焼け跡から取り除かれた。なお『ドイツ週間ニュース』の映像[4]が示すように、1944年から1945年にかけての冬には、屋根がない状態でフィギュアスケートの演技が行われた。
ポツダム通りのほとんどの家屋がまだ戦災から手つかずのうちに、早くもスポーツ宮殿は再建されたが、被災前に比べ大幅に簡素なつくりとなった。1949年には当座の屋根が架けられたが、1973年に取り壊されるまでそのままであった。広いホワイエは再建されなかった。
コンサート会場
その後スポーツ宮殿は主にコンサート会場として利用された。例えばピンク・フロイド、ビーチボーイズ、ジミ・ヘンドリックス、ディープ・パープル、ザ・ナイスなどであった。1958年にビル・ヘイリーのコンサートでファンが暴動を起こし、約3万マルクの被害をもたらした。市長ヴィリー・ブラントのもと西ベルリン警察は、騒擾者および粗暴者検索カードを導入し、黒の革ジャケットに身を包む「褐色シャツの連中」まがいの不良グループに対抗した。
スポーツ宮殿で公演した他のスターには、エラ・フィッツジェラルド、ライオネル・ハンプトン、クラウス・キンスキー、フランク・ザッパがいた。なおザッパは「revolution」(革命)とすべきところを「evolution」(進化)と発音したため、APOがステージから連れ出す騒ぎになった。
スポーツ宮殿が以前の人気を取り戻すことはついになかった。その上、ベルリン内の連合国占領地区の境界線からも近く、1961年にベルリンの壁が建設されると、都心という立地条件も失い、集客範囲も大幅に狭められることになった。
解体と土地再開発
催事会場としてもはや経済的に立ち行かなくなったスポーツ宮殿だったが、国からの支援はなかった。このような厳しい経営環境の中、経営者が事故で急逝すると、スポーツ宮殿は1973年に売却され、同年11月13日に集合住宅建設計画のため取り壊された[5]。
支援プログラムの下で跡地に建設された社会住宅・パラセウムは、ベルリンの俗語では「社会宮殿 (Sozialpalast)」と呼ばれる。建物は10階建ての高層建築で、階ごとに廊下が設けられ、ポツダム通りに沿って長く建てられた。この一直線に伸びる建築は、スポーツ宮殿の跡地(パラス通り北側)からパラス通り高層防空壕(通称「スポーツ宮殿防空壕」、パラス通り (Pallasstraße) 南側)に達する。パラス通り自体にもコンクリート構造物で橋が架けられ、公共交通に妨げられずに通り抜けできるようになっている。
前述の高層防空壕とは、第二次世界大戦中に建設された5階建ての建築物である。ドイツ内外の各地に築かれた、地表設置型防空避難施設(ホーホブンカー)のうちのひとつであった。1945年以降、何度か取り壊しが計画されたが、堅牢な構造のため実施されなかった(大規模な爆破解体を行えば、周辺の建物に大きな被害を与えてしまう)。その間に増築や改修を受け、非常時には約4800人を収容できる西ベルリン最大級の避難施設として維持管理されつつ、映画「ベルリン・天使の詩」やミュージックビデオのロケ地としても利用された。2010年に民間防衛施設の指定を解除され、翌2011年以降は史跡として保護されている。
- ^ Max Pape: Die Kunst des Fahrens – Fahren und Anspannen nach den Richtlinien von Benno von Achenbach. 8. Auflage, Kosmos, Stuttgart 1966/2002, ISBN 9-783440-092286, S. 51 f. oder 80 ff.
- ^ dhm.de
- ^ Christoph Henseler: Thälmanns Gethsemane. Die Gedenkstätte Ziegenhals und ihr Ende, in: Wolfgang Benz u. a. (Hrsg.): Zeitschrift für Geschichtswissenschaft (ZfG) 6/2010, Metropol-Verlag, Berlin 2010, S. 527–552, hier S. 545
- ^ ベルリン・スポーツ宮殿 - インターネット・アーカイブ
- ^ 30 × verschwundenes Berlin. In: ベルリン=ブランデンブルク放送
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