フィルム・ノワール
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映像面では照明のコントラストを強くしたシャープなモノクロ画面や、スタイリッシュな構図が作品の緊張感を強調するために多用されることが多い[4]。
ただし何を「フィルム・ノワール」とするかは論者によって幅が大きく、明確な定義は定まっていない[5]。しかしこうした物語・映像表現上の特徴を受けついでヨーロッパや香港など、世界各地で制作された映画を指して「ネオ・ノワール」、近年韓国で作られるようになったものが「韓国ノワール」と呼ばれるなど[6]、批評用語としては広く定着した表現である[5]。
概要
フィルム・ノワールの登場
第二次大戦前の古典的アメリカ映画は上流階級・ミドルクラスの人々の幸福な生活や恋愛、ハッピーエンドにいたる明朗で楽観的な物語構造などを大きな特徴としていたが[6]、第二次大戦の終戦間際から戦後にかけて、これとは大きく異なる雰囲気の作品が相次いで登場した[7]。
ビリー・ワイルダー『深夜の告白』(1944)やニコラス・レイ『孤独な場所で』(1950)、ジャック・ターナー『過去を逃れて』(1947)、ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』(1941)、ラオール・ウォルシュ『白熱』(1949) といった作品は、大都市の片隅で暮らす孤独な生活者、腐敗した役人、冷酷なジゴロ、心を病んだ残忍なギャングといった人物像を描き、人々の破滅的な生活と絶望を重要な主題としていた[1]。
フランスで注目されたフィルム・ノワール
新しいアメリカ映画の傾向を分析したフランスの批評家ニーノ・フランクが、そうした一群の映画を「フィルム・ノワール Film Noir」と呼んだ[8]。
ノワール Noir は英語の「ブラック(黒)」で、当時のフランスでは老舗出版社ガリマール社が刊行を開始した大衆犯罪小説のシリーズ「ロマン・ノワール Roman Noir (暗黒小説)」が人気を集めており、このシリーズの特徴だった悲観的なトーンがよく似ていることから名づけられた呼び名である[3]。さらにさかのぼればこの「暗黒小説」の名称は、犯罪を主要な題材としていたウージェーヌ・シュー『パリの秘密』のような19世紀の風俗小説の呼び名から採られていた[1]。
ニーノ・フランクが取り上げた作品は『マルタの鷹』のほかエドワード・ドミトリク『ブロンドの殺人者』、オットー・プレミンジャー『ローラ殺人事件』、フリッツ・ラング『飾窓の女』(いずれも1944)、のちにフランクに続いて最初に「フィルム・ノワール」の呼び名を使用したジャン=ピエール・シャルティエは、これらのほかビリー・ワイルダー『失われた週末』(1945)を取り上げている[9]。
ここで取り上げられた映画作品がいずれも光と影のコントラストを強調しており、画面が以前のアメリカ映画よりもはるかに黒々として見えたことから、「ノワール(黒)」の呼び名は新しい映画の動きをよく言い当てているとも受け止められ[10]、やがてフィルム・ノワールという名前はアメリカを含む世界各国に広まってゆくことになった[4]。
亡命者が支えたフィルム・ノワール
アメリカでこれらの映画を製作した人々の多くは、ナチスの迫害を逃れてハリウッドへ亡命した映画製作者たちだった[11]。
彼らは第二次大戦前に映画大国だったドイツで、表現主義的なコントラストの強い照明や、レンズで構図を歪める手法といったハリウッド映画とは異なる撮影技術に習熟しており、それがそのままアメリカへ持ち込まれた[11]。
また彼らはレイモンド・チャンドラーやダシール・ハメット、コーネル・ウールリッチなど、当時はB級と考えられていたアメリカ大衆小説作家の犯罪小説に強い関心を示し、そこに現れるシニカルでテンポのよい会話を映画の台詞に取り込んでゆくことになった[12]。
彼らが作りだしたフィルム・ノワール映画の流行は遅くとも1960年代前半には衰退するが、暗く悲観的な物語構造や、スタイリッシュで陰鬱な画面を使う映像表現手法は世界各国に広まり、その後も多くの映画に流用されてゆく[2]。
米国での再評価と「ネオ・ノワール」
英語圏の映画研究・映画批評において「フィルム・ノワール」の語が一般化したのはこの頃で、ニューヨーク近代美術館で開催された大規模な連続上映会や、映画監督・批評家ポール・シュレーダーによる評論などがそのきっかけとなった[2]。
アメリカでフィルム・ノワールの後継と考えられている作品に、アラン・J・パクラ『コールガール』(1971)、フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』 (1974)、ロマン・ポランスキー『チャイナタウン』(1974)、アーサー・ペン『ナイトムーブス』(1975)、マーティン・スコセッシ『タクシー・ドライバー』(1976)などがある。
さらに1980年代以降には、後述するような特徴を多く持った作品をさして「ネオ・ノワール」と呼ぶ論者も現れた[13]。ここにはデビッド・リンチ『ブルーベルベット』(1986) やクエンティン・タランティーノ『レザボア・ドッグス』(1992) などが挙げられている。ジョン・ウーやウォン・カーウァイなどの作品を「香港ノワール」と呼ぶこともある[13]。
定義の不在
「フィルム・ノワール」という言葉には学術用語のように厳密な定義があるわけではなく、それが映画史上の運動なのかジャンルなのか、または美学的なスタイルなのかも論者によってきわめて大きな議論の幅があるが[6]、「ノワール風」とされる映像感覚が世界各国の映画表現において、現在にいたるまで重要な一角を占めていることは確かである[14]。
また「フィルム・ノワール」作品は第二次大戦後のアメリカの閉塞的な社会状況や冷戦下の緊張感、変わり始めたジェンダー関係などを色濃く投影していると考えられ、とくに英語圏における映画研究において重要な分析対象となっている[2]。とくに近年では物語中のセクシュアリティに注目してクィア理論による分析も盛んに行われている[12]。
特徴
上述のとおり「フィルム・ノワール」という言葉の明確な定義は定まっておらず、何が「ノワール風」の感覚を形づくるのかについても議論がある[2]。
しかしこれまでフィルム・ノワールと呼ばれる作品には、主に以下のような特徴が指摘されることが多い[10]。
- 舞台設定(現代の大都市)
- 視覚的スタイル(コントラストを強め陰影を強調した画面)
- テーマ(犯罪、詐欺、離別、精神疾患など)
- 登場人物の性格(ハードボイルドな男性主人公、謎めいた女性)
- 物語手法(時系列を複雑に行き来する構成、説明省略の多用など)
- 全体的なムード(社会に対するシニシズムや憎悪、閉塞感)
従って最も典型的なノワール風の物語は、次のような内容になる。
ニューヨークやシカゴなどの大都市の裏通りに1人で事務所を構える影のある私立探偵が、謎めいた雰囲気の美貌の女性とともに、腐敗した警官や堕落した富裕層などを相手に事件の解決に挑む。そしてその捜査が進むなかで裏切りや残酷性・倒錯した支配欲といった人間の負の側面が暴き出され、探偵と女性も自らがかかえる過去の傷に向かい合うとになる[15]。これら全てが、行き場のない閉塞感を強く印象づける暗い画面で描かれるのである。
物語の展開自体も時系列に沿った明快簡潔な構造を取らず、一人称の曖昧なナレーションによって唐突に前後関係が逆転したり、過去の回想がフラッシュバック形式で挿入されたりする。そのため、最終的に何がどのように解決されたのか観客には明確には分からないケースも生じる[14]。
背景
1950年代までのハリウッド映画では、「フィルム・ノワール」作品はマイナーな映画会社によって低予算・短期間で乱造されていた。上映時間が多くの場合1時間半前後に抑えられているのは、メインとなる華やかなメジャー作品と二本立てで上映可能にするためである。
製作コストを押さえるため、他の映画で作られたセットを使い回した。そのため作品の大半は舞台が同じ都市(ニューヨークやシカゴ、サンフランシスコ)に限定されている。主役に無名俳優が起用されることも多かった[16]。脚本家は短期間で多数の作品のシナリオを量産するため、違いを際立たせようと極端に破綻した性格の人物を登場させたり、物語進行を無理に混乱させて観客の印象を変えようとした[17]。
しかしこうした悪条件のもとで作られた作品は、ハリウッド映画としてきわめて異質なカテゴリーを登場させ、結果的に1950年代のアメリカ社会で広く観客に受け入れられることになった[15]。
- ^ a b c Durgnat, Raymond. “Paint it Black: The Family Tree of the Film Noir.” In Film Noir Reader. Edited by Alain Silver and James Ursini, 37–51. New York: Limelight, 1998.
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- ^ a b Frank, Nino. “A New Type of Detective Story.” Translated by Connor Hartnett. In The Maltese Falcon: John Huston, Edited by William Luhr, 8–9, 14. New Brunswick, NJ: Rutgers University Press, 1995.
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- ^ a b 吉田広明『B級ノワール論 : ハリウッド転換期の巨匠たち』作品社、2008
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- ^ Borde, Raymond, and Etienne Chaumeton. A Panorama of American Film Noir, 1941–1953. Translated by Paul Hammond. San Francisco: City Lights, 2002.
- ^ レクラン・フランセ (L'Écran Français)、1946年8月、英語版WikipediaNino Frank参照。
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- ^ Andrew Spicer and Helen Hanson (eds.), A Companion to Film Noir (2013)
- ^ Alain Silver and James Ursini (eds.), Film Noir: Light and Shadow (2017).
- ^ “10 great American film noirs” (英語). British Film Institute. 2020年12月11日閲覧。
- ^ “The 20 best film noirs, from Double Indemnity to Shadow of a Doubt” (英語). The Independent (2019年3月10日). 2020年12月11日閲覧。
- ^ a b “Japanese Noir” (英語). The Criterion Channel. 2021年2月14日閲覧。
- ^ “10 great Japanese film noirs” (英語). BFI. 2021年2月14日閲覧。
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