ピーター・アーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 04:44 UTC 版)
人物
- 二卵性双生児の息子と娘がいる[5]。娘はRISEでデビューを果たした[17]。
- 若い頃は、ハードな練習をこなしつつも、友人たちとパブで酒を飲みまくってバカ騒ぎをする日々を過ごしていたが、試合ではその天性の才能でKO勝ちを連発した。しかし結局は不摂生が元で胃腸を壊してスランプに陥ったこともあり、それ以来は人一倍自己管理を心がけるようになった。本人も当時を振り返って「若い頃の俺は摂生なんてものとは無縁だったな。若い頃よりも今の俺の方が真面目に摂生して練習しているよ」と語っている。
- インタビュー時や関係者やファンの前では、豪快な笑い方をする。
- K-1プロデューサーだった谷川貞治は「アーツはどんな強豪との対戦をオファーしても一度も断ったことがない」と常々語って感謝を表している。
- 逆にアーツはその強さゆえに他のファイター達から対戦を嫌がられきた。アーツ本人によると「セミー・シュルトやアーネスト・ホーストですら俺を恐れて対戦を断った」と語っている[18]。唯一の例外がジェロム・レ・バンナであり、K-1 GP 99決勝トーナメント組み合わせ抽選会において、前々日の試合直後からバンナはアーツとの対戦を熱望しており、抽選の結果、初戦でアーツ対バンナが実現して大喜びするバンナを見て、「俺と戦うことが決まってこんなに喜ぶのはジェロムくらいだよ」と苦笑いしていた。
- K-1初期からのファイターであるが、総合格闘技に対しても理解的な姿勢を見せており、K-1の興行においてキモvsパトリック・スミス戦が行われた際もそれを認めるコメントを出した。アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらの元で総合格闘技のトレーニングを積み、HERO'Sでは総合格闘技デビューを果たした。
- 自身と共にK-1四天王として並び称されたアンディ・フグやアーネスト・ホースト、マイク・ベルナルド、長年のライバルであるジェロム・レ・バンナとは友人でもある。2000年にフグが死去した際のインタビューでは「K-1の選手の中で一番の親友だった。アンディのことは絶対に忘れない」などと涙ながらに語り[1]、バンナは2010年からアーツとともにドージョー・チャクリキで練習するようになり、バンナがアーツのセコンドにも就いている。また、自身のトランクスに666の文字を入れていたことがあるが、これはベルナルドへのジョークであったことを明かしている[5]。2012年2月17日のIGF選手権試合後には、同年2月14日に死去したベルナルドへの追悼コメントをバンナと共に語った[19]。
- 雑誌『ハイパーコロコロ』で坂井孝行による読み切り漫画作品『K-1超闘士列伝ピーター・アーツ物語』が掲載された。この作品は同じく坂井の作品『K-1 ダイナマイト』の単行本2巻に収録されている。
- ^ “IBK International Kyokushin Budokai - Blak Belts”. International Kyokushin Budokai. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 「ランバー」とは巨木のことを指し、北米や中欧の大森林地帯で、チェーンソーもなかった時代に斧一本で「ランバー」をなぎ倒す怪力自慢の男たちが「ランバージャック」と呼ばれていた。
- ^ INTERVIEW: Peter Aerts prepares for Tyrone Spong, June 30, IT'S YouTube 2012年4月25日
- ^ 週刊少年チャンピオン 2012年 No.25
- ^ a b c http://pancration.net/nihongo/peter-aerts-interview-japanese.html
- ^ a b c ゴング格闘技259号の引退インタビューより。
- ^ K-1 WORLD GP 2005 FINALのアリーナ席限定配布DVD内にて。
- ^ 会場で観戦していたアーネスト・ホーストは「あれはアーツの勝ちか、最低でもドローで延長が妥当だ」と語った。ホーストはK-1 WORLD GP 2004 決勝戦準々決勝の対レミー・ボンヤスキー戦に敗戦後、ジャッジへの怒りを露わにした際にもこの試合の結果に触れ、「明らかにピーターが勝っていたのに武蔵に勝利が行ってしまった」と語っている。
- ^ この結果、自身の決勝トーナメント連続出場記録を16年連続に更新したうえ、シュルトのGP4連覇および自身の持つK-1における最多連勝記録タイ達成を阻止している。
- ^ アーツがオランダでジムを開設! K-1公式サイト 2011年5月9日[リンク切れ]
- ^ Peter Aerts snubs K-1, signs for Glory Fighters Only 2012年3月20日
- ^ Peter Aerts Confirms His Final Fight vs Tyrone Spong on June 30 LiverKick.com 2012年1月12日
- ^ It's Showtime's June 30th Event Moving to Brussels Liverkick.com 2012年1月27日
- ^ 【It's Showtime】アーツ、スポーンにTKO負けもGloryで現役続行 - MMAPLANET・2012年7月1日
- ^ “最強”髙田延彦はプロレスを背負っていた!理想とするプロファイター - 巌流島チャンネル・2016年1月12日
- ^ ピーター・アーツがヒザを手術、負傷KO負けの過去も イーファイト 2023/07/22 (2024年1月2日閲覧)
- ^ “【RISE】ピーター・アーツの愛娘モンタナがRISEデビュー 父が見守る前で判定勝利”. 日刊スポーツ (2023年3月26日). 2023年6月23日閲覧。
- ^ 独白!! ピーター・アーツ引退1万字インタビュー完全版!! - GLORY13特設サイト大引退・2013年11月20日
- ^ 【IGF】ベルナルドへの10カウントゴング! バンナとアーツが追悼コメント GBR 2012年2月17日
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