ピュー
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経済
乾燥地に位置するピューの城郭都市では広範囲に及ぶ水田の耕作と安定した米の収穫は困難であり、水稲作、畑作、牧畜を組み合わせた自給的な経済システムが存在していたと考えられている[35]。それぞれの城郭都市で自給体制の確立を目指す開発が進められ、一方で不足する食料を補うために城郭間で相互に交易が行われていた[36]。
ピューの城郭都市はいずれも微高地や丘陵の麓に位置しており、城郭内で水田工作を行う環境は整っていなかった[37]。ピュー族は水を得やすい天水田や氾濫原、小河川や溜池を利用する灌漑を利用して米を栽培していた[1]。植民地時代前に建設された上ビルマのダム、運河、堤防などの治水施設に用いられている技術は、ピュー時代とパガン時代に起源を有する[38]。また、米のほかに綿花、豆類、アワ、オオアワ、サトウキビなどの作物が栽培されていた[1]。
ピュー族の城郭都市からは、直径3cm・重さ約10g、あるいは直径2cm・重さ約2.5gの二種類の銀貨が出土している[39]。銀貨の大半には表面に玉座か旭日、裏面に吉祥天の館であるスリーヴァッサが刻まれているが、玉座と旭日の意味については判明していない[40]。エーヤワディー流域に留まらず、ピュー族の旭日銀貨はチャオプラヤ流域、メコン川下流域、タイ南部でも出土している[1]。ピュー族の交易の範囲はピュー文化圏の外にも至り、淡水イルカ、ガラス、瓶などが輸出された[41]。綿布はピューの特産品として知られており、扶南やドヴァーラヴァティー王国などの国にも輸出された[1]。また、南北朝時代の中国で書かれた『広志』には、ピュー族の国では織物のほかに香料が産出されることが記録されている[42]。
当初はピューと扶南の間で交易が行われていたが、やがて新興のドヴァーラヴァティー王国が交易に参加するようになり、9世紀以前にはすでにエーヤワディー流域、チャオプラヤ流域、メコン下流域で旭日銀貨を介した交易圏が成立していた[43]。しかし、エーヤワディー下流域を抑えるドヴァーラヴァティーの台頭によってピューの交易路は制限され、チャオプラヤ、タイ湾を通した交易に打撃を受ける[44]。ピューの没落に伴って旭日銀貨を介した経済圏も崩壊し、851年に下ビルマを訪れた旅行家スレイマンは、銀貨ではなく子安貝が貨幣として流通していたことを伝えている[45]。
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