ピュー 経済

ピュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 21:50 UTC 版)

経済

ピュー族が鋳造した銀貨

乾燥地に位置するピューの城郭都市では広範囲に及ぶ水田の耕作と安定した米の収穫は困難であり、水稲作、畑作、牧畜を組み合わせた自給的な経済システムが存在していたと考えられている[35]。それぞれの城郭都市で自給体制の確立を目指す開発が進められ、一方で不足する食料を補うために城郭間で相互に交易が行われていた[36]

ピューの城郭都市はいずれも微高地や丘陵の麓に位置しており、城郭内で水田工作を行う環境は整っていなかった[37]。ピュー族は水を得やすい天水田や氾濫原、小河川や溜池を利用する灌漑を利用して米を栽培していた[1]。植民地時代前に建設された上ビルマのダム、運河、堤防などの治水施設に用いられている技術は、ピュー時代とパガン時代に起源を有する[38]。また、米のほかに綿花、豆類、アワ、オオアワ、サトウキビなどの作物が栽培されていた[1]

ピュー族の城郭都市からは、直径3cm・重さ約10g、あるいは直径2cm・重さ約2.5gの二種類の銀貨が出土している[39]。銀貨の大半には表面に玉座か旭日、裏面に吉祥天の館であるスリーヴァッサが刻まれているが、玉座と旭日の意味については判明していない[40]。エーヤワディー流域に留まらず、ピュー族の旭日銀貨はチャオプラヤ流域、メコン川下流域、タイ南部でも出土している[1]。ピュー族の交易の範囲はピュー文化圏の外にも至り、淡水イルカ、ガラス、瓶などが輸出された[41]。綿布はピューの特産品として知られており、扶南ドヴァーラヴァティー王国などの国にも輸出された[1]。また、南北朝時代の中国で書かれた『広志』には、ピュー族の国では織物のほかに香料が産出されることが記録されている[42]

当初はピューと扶南の間で交易が行われていたが、やがて新興のドヴァーラヴァティー王国が交易に参加するようになり、9世紀以前にはすでにエーヤワディー流域、チャオプラヤ流域、メコン下流域で旭日銀貨を介した交易圏が成立していた[43]。しかし、エーヤワディー下流域を抑えるドヴァーラヴァティーの台頭によってピューの交易路は制限され、チャオプラヤ、タイ湾を通した交易に打撃を受ける[44]。ピューの没落に伴って旭日銀貨を介した経済圏も崩壊し、851年に下ビルマを訪れた旅行家スレイマンは、銀貨ではなく子安貝が貨幣として流通していたことを伝えている[45]


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  6. ^ 杉本直治郎「郭義恭の「広志」―南北朝時代の驃国史料として」『東洋史研究』23号3巻、88-89頁
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  31. ^ 綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、6頁
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  38. ^ Aung-Thwin 2005: 26–27頁
  39. ^ 伊東「イラワジ川の世界」『東南アジア史1 大陸部』、116頁
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  41. ^ 伊東「綿布と旭日銀貨」『原史東南アジア世界』、205頁
  42. ^ 杉本直治郎「郭義恭の「広志」―南北朝時代の驃国史料として」『東洋史研究』23号3巻、92-93,106頁
  43. ^ 伊東「綿布と旭日銀貨」『原史東南アジア世界』、223頁
  44. ^ 伊東「イラワジ川の世界」『東南アジア史1 大陸部』、113,120頁
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  49. ^ a b 西和彦「第38回世界遺産委員会の概要」『月刊文化財』第614号、2014年
  50. ^ 日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2015』講談社、2014年
  51. ^ 古田陽久 古田真美『世界遺産事典 - 2015改訂版』シンクタンクせとうち総合研究機構、2014年
  52. ^ World Heritage Centre (2014), Report of the Decisions adopted by the World Heritage Committee at its 38th session (Doha, 2014) (WHC-14/38.COM/16), http://whc.unesco.org/document/131277 , p.211





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