バドミントン 技術

バドミントン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 03:20 UTC 版)

技術

バドミントンにおいて必要な技術は、ラケットでシャトルを打つ技術(ラケットワーク)と、無駄の無い動きで素早く追いつくための技術(フットワーク)である。

歴史

バドミントンの誕生

諸説あるものの、最も有力とされている説は次の通り。元々はイギリス植民地時代のインドプーナ1830年代に行われていた、皮の球をラケットでネット越しに打ち合う「プーナ」(Poona)という遊びを、インド帰りのアメリカ人兵士(イギリス人とインド人の混血とも言われる)が1873年に本国に伝えたのが始まりとされる。その兵士は、プーナを紹介するためにシャンパン羽根を刺したものを用い、それをテニスラケットで打って見せたという。紹介されたのがイギリスのグロスタシャーにあるボーフォート公爵サマセット家の邸宅バドミントン・ハウス英語版であったため、バドミントンという名称がついた(ただし、1870年代にはかなり進んだバドミントンルールが存在したことなどから、この起源説に対し、疑問を持つ者も少なくない。スポーツの起源というものは往々にして脚色されがちである)。いずれにせよ、現在の国際的流行の下地を作ったのはイギリスである。[10]

イギリスにはバトルドア・アンド・シャトルコックという、シャトルコックに似た球を打ち合う遊びが、プーナ伝来よりも前から伝わっている。その競技の性質や、名前などから、バトルドア・アンド・シャトルコックが次第にバドミントンへと変化していったという説も信憑性が高い。初期のバドミントンはバドミントン・バトルドアと称していることも、この説を裏づける。ともあれ、1860年代-1870年代ごろに誕生したらしいバドミントンは次第にイギリス中に普及していった。

その後ルール統一の必要性から、1893年イギリスにバドミントン協会が誕生。プレーする人数や、コートの広さ、マッチまでの得点などが様々だったが、これ以後、ルールの統一が進んでいく。当時のバドミントンは、バックバウンダリーラインから、ネットに向けて狭くなっていく、バスケットボールのフリースローレーンのような形のコートを2つ合わせたような形であった。これは、バドミントン荘がそのような形状であったから、というのが定説である。日本に古くから伝わる羽根突きとの関連は不明。

1899年にはロンドンで第一回全英オープンが行われ、1921年カナダ1930年デンマークオランダフランスにバドミントン協会が設立され、そして1934年世界バドミントン連盟が誕生した。

1972年ミュンヘンオリンピックにて公開競技として行われた後、その次のモントリオールオリンピックから正式競技になるとの観測があったが、中国が脱退するなどして国際バドミントン連盟が分裂する事態が起こり、立ち消えとなったことがある。

オリンピックの方が注目されがちだが、オリンピックや世界選手権よりも上記の全英オープン、国別対抗団体戦のトマス杯ユーバー杯の方が長い歴史と伝統を誇る。

各国での普及

イギリスから世界に広まった競技であるため旧植民地(イギリス連邦)で普及しており、コモンウェルスゲームズにも含まれている。このほかにもデンマークオランダ、その旧植民地でも行われており、植民地が多い東南アジアでは人気が高い。特にオランダ領だったインドネシアでは国技であり、オリンピックで獲得したメダルの半分以上がバドミントンによるものである。日本、中国、韓国など1950年代から競技が本格化した国からもトップ選手が誕生しており、アジアでは人気スポーツとなっている。一方、イギリスを含む欧米ではデンマークとオランダ以外では人気が低迷し選手層が薄く、2016年リオデジャネイロオリンピック開幕時点での女子シングルス世界ランキングの上位25位以内に非アジア国籍の選手は4人(1人は香港出身)という状況であるなど、近年の国際大会ではイギリス、デンマーク、オランダ、スペイン以外はアジア勢が上位を占めている。

日本

日本では1921年、横浜YMCAの体育主事をしていた広田兼敏が名誉主事のアメリカ人スネードから用具一式を寄贈されたことが始まりとされている。広田はその後、在日欧米人よりバドミントンについて学び、1933年に横浜YMCAの体育活動に取り入れ、1937年にはバドミントンクラブを設置したと言われる。

その後、第二次世界大戦のために普及活動は停滞するが、1946年、終戦後早々と各地のYMCAなどのクラブチームはバドミントンを再開した。同年、11月2日、日本バドミントン協会が設立される。1948年、第1回全日本総合バドミントン選手権大会開催、日本体育協会に参加。1949年、第四回国民体育大会の競技種目となり、1950年第一回全日本学生バドミントン選手権開催、1951年第1回全国高等学校体育大会バドミントン競技大会開催、第1回実業団バドミントン選手権開催、1952年国際バドミントン連盟加盟し、急速にバドミントンは普及する。

1954年男子チームが初の国際大会となる第3回トマス杯大会アジア地区予選に出場した。女子チームは湯木博恵などを中心に1965年-1966年1968年-1969年1971年-1972年1977年-1978年1980年-1981年に、最も権威ある国際大会の一つであるユーバー杯で優勝するという快挙を成し遂げた。また、公開競技として行われた1972年ミュンヘンオリンピックにおいて女子シングルスに出場した中山紀子が金メダル、湯木博恵が銅メダルを獲得。さらに1988年ソウルオリンピックにおいて女子シングルスに出場した北田スミ子、男子ダブルスに出場した松野修二松浦進二ペアが銅メダルを獲得している。

1992年バルセロナオリンピックにて正式種目として採用されてからはしばらくメダルを獲得出来なかったが、2008年北京オリンピックで女子ダブルスに出場した末綱聡子前田美順ペア(スエマエ)がベスト4入りを果たすと、2012年ロンドンオリンピックで同種目に出場した藤井瑞希垣岩令佳ペア(フジカキ)が銀メダルを獲得。そして、2016年リオデジャネイロオリンピック高橋礼華松友美佐紀ペア(タカマツ)がオリンピックで日本初の金メダルを獲得した。

社会人の大会としてはバドミントンS/Jリーグがある。

近年のバドミントン

1972年ミュンヘンオリンピック1988年ソウルオリンピックでは、公開競技として行われた。1992年バルセロナオリンピックより正式競技種目として採用された(混合ダブルスは1996年のアトランタ大会から)。国際バドミントン連盟(IBF)は、オリンピック種目として生き残ることを視野に、2000年から 7点5ゲーム・サイドアウト制の試行を始めた。この得点システムは2002年6月に見直され、元の15点(女子シングルスは11点)3ゲーム・サイドアウト制に戻された。2003年3月に、イングランドの呼びかけで開かれた IBF臨時総会では、9点5ゲーム制、女子種目と混合ダブルスの11点3ゲーム制(いずれもサイドアウト制)などが検討されたが、再び旧ルールに戻る結末を迎えた。2005年は、IBFの提案により、ラリーポイント制について、実験的採用が行われた年となった。2006年5月6日、トマス杯ユーバー杯開催中の日本の東京で開かれた IBF年次総会において、21点ラリーポイント制の得点システムが加盟各国理事に満場一致で支持され、IBF の世界ランキング大会は、これで行われることが正式に決定した。

2006年9月、国際バドミントン連盟は、世界選手権開催中のスペインのマドリードで開かれた臨時総会において、名称を 世界バドミントン連盟(Badminton World Federation)に変更することを決め、発表した。

屋内競技ではあるがシャトルは非常に軽いため、バレーボールなどでは無視できる空調の弱い風や室温にも影響を受ける。このためプロ選手は競技会場の大きさや吹き出し口からの距離、設定温度による変化を把握するため、事前に入念なチェックを行うようになった[11]

障害者スポーツ(パラスポーツ)として、バドミントンから派生したパラバドミントンがある。パラバドミントンは、2020年東京パラリンピックからパラリンピックの正式種目に採用されることになった[12]

主要な大会

国際大会

各国の大会

日本


  1. ^ クレイグ・グレンディ 著『ギネス世界記録2015』(角川アスキー総合研究所)参照
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ 森護 1987, p. 103.
  5. ^ 基本ルールを知っていればもっとバドミントンが楽しくなる!”. 【SPAIA】スパイア (2016年10月11日). 2020年11月19日閲覧。
  6. ^ 日本バドミントン協会、世界バドミントン連盟の競技規則を参照。
  7. ^ 水鳥シャトルコック・ナイロンシャトルコック併用練習マニュアル - ヨネックス
  8. ^ a b c d e 公益財団法人日本バドミントン協会『観戦&プレーで役に立つ! バドミントンのルール 審判の基本』実業之日本社、2016年、23頁
  9. ^ a b c d e f g 公益財団法人日本バドミントン協会『観戦&プレーで役に立つ! バドミントンのルール 審判の基本』実業之日本社、2016年、25頁
  10. ^ 『「先生なぜですか」ネット型球技編 0のことをなぜラブと呼ぶの?』(稲垣正浩・他=編著、大修館書店)※バドミントンの項目は奈良重幸=著
  11. ^ バド奥原希望、空調から流れる風を入念に確認 - アジア大会 - スポーツ : 日刊スポーツ
  12. ^ バドミントン(東京2020パラリンピック競技大会公式webサイト)”. 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会. 2021年6月3日閲覧。


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