ハタ・ヨーガ 現代のハタ・ヨーガ

ハタ・ヨーガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 07:42 UTC 版)

現代のハタ・ヨーガ

現代ヨーガのアーサナであるサルヴァンガーサナ英語版(肩立ちのポーズ)

今日、さまざまな体位法(アーサナ)に重点を置くハタ・ヨーガが世界的に広まっているが、これは浄化法やムドラー、プラーナーヤーマを重視する古典的なハタ・ヨーガとは別物である[24]。宗教社会学者の伊藤雅之は、現在実践されているアーサナの大半は、19世紀後半から20世紀前半に西洋で発達した身体文化(キリスト教を伝道するYMCAやイギリス陸軍によってインドに輸入された)を強調する運動に由来すると述べている[8]。伊藤は、現代のアーサナの起源は、西洋式体操法などの西洋身体文化が、インド独自の体系として、伝統的な「ハタ・ヨーガ」の名でまとめられたものであると述べており、現在のアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガや中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながりは極めて弱いと指摘している[8]

アーサナ偏重の現代ヨーガの基礎は20世紀前半に築かれた[25]。19世紀のヨーロッパでは、精神だけでなく肉体を鍛えようとする「身体文化」が興隆した[26]。20世紀に入ると、インドではその流れを受けて、国産のエクササイズを生み出そうとする動きが活発化した[9]。近代ヨーガの立役者であるヴィヴェーカーナンダは19世紀末にハタ・ヨーガのアーサナに対して否定的な態度を取ったが、20世紀に入ってから体操的なものとして復興したアーサナ(実は、欧米の体操などの影響を強く受けている)は、パタンジャリすなわち『ヨーガ・スートラ』の伝統に基づくという解釈によって権威づけされた[9]。その時代に身体文化としてのヨーガの推進に貢献した人物としては、ボンベイ(現ムンバイ)などで活躍したスワーミー・クヴァラヤーナンダ英語版(1883年 - 1966年)、シュリー・ヨーゲーンドラ(1897年 - 1989年)、1930-40年代にマイソールでヨーガを指導したティルマライ・クリシュナマチャーリヤ英語版(1888年 - 1989年)などが挙げられる。マニク・ラオに伝統的体育学と武闘術を学び、マーダヴァダースにヨーガを学んだクヴァラヤーナンダは、ヨーガを学問的に研究し、体育教育や病気治療に活用しようとした[27]。彼は1924年にプネー近郊のローナヴァラにカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所を創設し、ヨーガの研究と普及に努めた[28]

クリシュナマチャーリヤは現代ヨーガへの影響が大きい人物で[29]、「現代ヨーガの父」とも呼ばれる[8]。クリシュナマチャーリヤは1930年代にマイソールの藩王の宮殿でヨーガ教師の職を得て、ジャガンモハン宮殿内にヨーガ教室を開いた。当時マイソール藩王国を統治していたクリシュナ・ラージャ4世(1884年 - 1940年)は体育振興に熱心であり、クリシュナマチャーリヤが構築した体操的なアーサナのスタイルの背景には、1920~30年代のマイソールで振興が図られたさまざまな身体文化の要素があった[30]。ノーマン・スジョーマンの研究では、マイソールの宮殿では王族が体操を実践していたと指摘され、マイソール・スタイルのヨーガの形成において宮殿にあった体操の教本が利用された可能性が示唆されている[31]。伊藤博之は、クリシュナマチャーリヤは西洋の身体文化から発生した多様な体操法を自らのヨーガ・クラスに取り入れ、西洋式体操をインド伝統のハタ・ヨーガの技法として仕立て上げたとしている[8]。クリシュナマチャーリヤはマイソールの宮殿で働き始めた年にクヴァラヤーナンダのカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所を視察しているが、この時すでにクヴァラヤーナンダの「ヨーガ的体育」の教育プログラムは連合州に広まっていた。現代ヨーガのアーサナ体操の起源についての研究を行ったマーク・シングルトンは、そこでクリシュナマチャーリヤはヨーガをベースにした体育教育について教唆を受け、自分のヨーガ指導に応用したのではないかと考察している[32]。アーサナを取り入れたインド国産の(その実、欧米の体操などの影響を強く受けている)身体訓練は、1920年代以降全国的に広まっていた。シングルトンは、クリシュナマチャーリヤが1930年代以降に教えたマイソール・スタイルのヨーガもその流れに乗ったもので、当時インドで国産のエクササイズとして広まっていた体育教育法のヴァリエーションであったと指摘している[33]。また、クリシュナマチャーリヤは思想面にヴィヴェーカーナンダなどのヒンドゥー復興運動の思想と『ヨーガ・スートラ』を援用した[8]。ヴィヴェーカーナンダはハタ・ヨーガの身体鍛錬を軽んじるどころか否定した[34]。一方、『ヨーガ・スートラ』をハタ・ヨーガの教典よりも権威あるものとみなしたクリシュナマチャーリヤも、『ヨーガ・スートラ』には書かれていない浄化法(シャトカルマ)のような伝統的なハタ・ヨーガ技法は軽視してほとんど教えなかったが、アーサナ体操については『ヨーガ・スートラ』に基づくものとしてこれを正当化した[35]。クリシュナマチャーリヤはハタ・ヨーガの古典にはない、近代ヨーガの体位であるシールシャーサナ英語版(頭立ちのポーズ)やサルヴァンガーサナ英語版(肩立ちのポーズ)に重点を置いた張本人といわれ[† 10]、現代のほとんどのヨーガ教師は(クリシュナマチャーリヤとは直接関係のないシヴァーナンダなどの系統の人々も含めて)直接的・間接的に彼の教えの一部から影響を受けているといわれる[38]

クリシュナマチャーリヤは1924年から死去する1989年までヨーガを指導した。アーサナを中心とした現代のヨーガは、直接または間接的にクリシュナマチャーリヤの影響を受けているものが多い。彼が1930年代から20年ほどの間にマイソールで教えていた激しい体操的なヨーガのスタイルからは、躍動的なヨーガで知られるアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ英語版が生まれ、1990年代以降の北米で盛んなパワー・ヨーガなどもその派生である[39]

欧米にヨーガを広めた著名な弟子には、上記のアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガの創始者パッタビ・ジョイス(英語: K. Pattabhi Jois、正姿勢と補助道具が特徴のB・K・S・アイヤンガール[† 11]、インドラ・デーヴィー (en:Indra Devi)、クリシュナマチャーリヤの子でヴィニヨーガ (en: Viniyoga) の創始者T・K・V・デーシカーチャール (en:T. K. V. Desikachar) が挙げられる。T・K・V・デーシカーチャールは、クリシュナマチャーリヤから継承したヨーガを広めるため、チェンナイにクリシュナマチャーリヤ・ヨーガ・マンディラムを創立した。

リシケーシュシヴァーナンダ(英語: Sivananda Saraswati(1887年 - 1963年)と彼の多数の弟子たちも、影響力のある大きな流れを形成した。シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター (en:Sivananda Yoga Vedanta Centres) を創立したヴィシュヌデーヴァーナンダ(英語: Swami Vishnu-devananda、ビハール・ヨーガ学校 (en:Bihar School of Yoga) を創立したサティヤーナンダ(英語: Satyananda Saraswati、インテグラル・ヨーガの創始者サッチダーナンダ(英語: Swami Satchidanandaなど著名な指導者を輩出した。

パラマハンサ・ヨーガーナンダの弟でボディビルダーのB・C・ゴーシュドイツ語版 (Bishnu Charan Ghosh) も、1930年代以降に体操やボディビルディングを融合させたヨーガを広めた人物である。彼は1923年にコルカタで身体教育学校を開き、ボディビルディングを指導した。世界的に商業展開しているビクラム・チョードリーのビクラム・ヨーガは、自身がゴーシュの学校で教わった運動競技的なアーサナから派生したものである[41]

健康法としてのヨーガ

スプタ・バッダ・コーナ・アーサナ。横たわった合蹠(がっせき)のポーズ(合蹠の蝶のポーズ)の練習風景。

欧米で学習されているハタ・ヨーガの大半は、アーサナ(体位座法)が中心で、身体的なエクササイズの側面が重視されている。現在の研究で、入念に改変したヨガのポーズにより慢性的な腰痛が緩和され、歩行機能、運動機能を改善することが示されている[42]。また、ストレス軽減の実際的方法論であるとも認識されており、他の通常のエクササイズと同様に生活の質を改善し、ストレスを緩和し、心拍数や血圧を下げ、不安やうつ症状、不眠を和らげ、全体的な体調、体力、柔軟性を向上させることが研究により示されている[42]。様々な病気の予防や症状の改善に有益であると言う人もいる。しかし、一部の研究によると、ヨガで喘息は改善しない可能性があることが示され、ヨガと関節炎の関連を調査する研究では結論が分かれている[42]

ヨーガ・ジャーナル誌 (en:Yoga Journal) が行った2005年の調査“Yoga in America”の結果、米国でヨーガを習う人の数は1,650万人で、18 - 24歳のグループには前年比46%の伸びが見られた[43]脚注リンク先の情報と翻訳元に記載の調査年度が異なる。

現代では、ハタ・ヨーガのテクニックを利用するアスリートや格闘家もいる。日本では、北米でヘルシー・ハッピー・ホーリー協会英語版(3HOファウンデーション)を設立したインド人シク教徒Harbhajan Singh Khalsa、通称ヨギ・バジャンによるクンダリーニ・ヨーガ(ハタ・ヨーガ)に基づく呼吸法として、小山一夫が「火の呼吸」と呼ぶ呼吸法を指導している。(格闘家ヒクソン・グレイシーが行っている呼吸法であるという触れ込みで日本に広まったが、事実ではないと指摘されている。[44][45])火の呼吸は、全身をリラックスさせ姿勢をまっすぐに保ち、速いペースで鼻呼吸を行う。

ビクラム・ヨーガは高温多湿の部屋で26種のアーサナを連続的に行っていくという形式のもので、ホット・ヨーガとも呼ばれる(今日ではホット・ヨーガという用語はビクラム・ヨーガに限定されずに使われている)。部屋を高温にすると効果的にヨーガができるという発想は、1970年にビクラム・チョードリーが日本に開いたヨーガ教室で生徒たちがストーブを持ち寄って部屋を暖かくしたところ、冬の寒さにこごえていた身体が柔軟になったという経験がきっかけで生まれたという[46]。チョードリーは1970年代初めに北米に進出し、1990年代には自分のヨーガをフランチャイズ制にした。一律のプログラムで運営される数百以上のヨーガ・スタジオが開設され[† 12]、世界的ファーストフード店の名をもじって「マックヨーガ」と揶揄されることもある。ビクラム・ヨーガで怪我をしたり酸欠で倒れるという事故も起きている[48]


出典

  1. ^ 歴史上の年代については諸説あり、9世紀から12世紀の間とする説(エリアーデ, pp. 45, 163)、10-12世紀とする説(山下 2009, p. 140)、13世紀とする説(立川 2008 p. 101)がある。
  2. ^ 年代については諸説あり、14世紀とする説[3]から16-17世紀頃とする説[4]まである。
  3. ^ 山下博司によると、これは語源俗解的なこじつけである[5]
  4. ^ ゲオルグ・フォイアスティン、ゲオルグ・フォイヤーシュタインとも表記されるが、ここでは山下 2009にならいドイツ語読みで表記する。
  5. ^ 例えば、近代インドを代表する聖者であるラマナ・マハルシ[13]は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している[14]
  6. ^ シングルトン 2014によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた[15]
  7. ^ ただし、インド研究家の伊藤武によれば、『ハタ・プラディーピカー』が「ラージャ・ヨーガ」の章でラージャ・ヨーガの同義語として列挙している言葉の多くは、『ヨーガ・スートラ』よりも後の時代のタントラ用語である。伊藤は、同書の述べるラージャ・ヨーガの技法とは実のところハタ・ヨーガの最終段階に位置づけられるラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことであると指摘し、『ヨーガ・スートラ』の古典ヨーガをラージャ・ヨーガとするのは20世紀に入ってから確立した解釈でないかと推察している[20]
  8. ^ プネー近くのアーランディー (Alandi) 出身のジュニャーネーシュヴァラ (en:Jñāneśvar) の弟であるソーパーナの系統を引く人物。
  9. ^ スヴァートマーラーマは、サハジャーナンダの弟子であるチンターマニの弟子とも[22]、チンターマニ自身の号とも[23]
  10. ^ クリシュナマチャーリヤがマイソールの宮殿でヨーガ教師の職を得たのは1933年頃のことであるが[36]、クヴァラヤーナンダの1931年の著作『アーサナ』には肩立ちのポーズの図版が掲載されており[37]、この体位そのものはクリシュナマチャーリヤの創案ではない。
  11. ^ 日本ではアイアンガーと呼ばれることが多いが、正しくはアイヤンガールであると山下博司は指摘している[40]
  12. ^ 山下 2009は、ビクラム・ヨーガの展開するスタジオは1,500箇所以上と記しているが、典拠は不明。科学ジャーナリストのウィリアム・J・ブロードによると、2010年にビクラム・ヨーガの国際総本部の広報担当は、全世界のスタジオ数は500箇所ほどで、その他多数は正規フランチャイジーではない違法なスタジオだと述べており、チョードリーの2007年の著書が主張する1,700というスタジオ数と大きく食い違っている[47]
  1. ^ 山下 2009, p. 137.
  2. ^ a b c d 橋本 2005, pp. 155–159.
  3. ^ M・L・ガロテの研究[1]
  4. ^ 山下 2009 p. 141; 立川 2008, p. 102.
  5. ^ 山下 2009, pp. 137-138.
  6. ^ ljpasion. “Hatha Yoga - The Yoga of Postures”. 2022年1月3日閲覧。
  7. ^ 宮本 2005, pp. 155–159.
  8. ^ a b c d e f 伊藤雅之 2011.
  9. ^ a b c シングルトン, 喜多訳 2014
  10. ^ Feuerstein 1991.
  11. ^ 伊藤武 2011, p. 263.
  12. ^ a b シングルトン 2014, p. 99.
  13. ^ ポール・ブラントン 著、日本ヴェーダーンタ協会 訳 『秘められたインド 改訂版』日本ヴェーダーンタ協会、2016年 (原著1982年)。ISBN 978-4-931148-58-1 
  14. ^ デーヴィッド・ゴッドマン編 著、福間巖 訳 『あるがままに - ラマナ・マハルシの教え』ナチュラルスピリット、2005年、249-267頁。ISBN 4-931449-77-8 
  15. ^ a b シングルトン 2014, pp. 45–52.
  16. ^ 立川 2013, p. 62.
  17. ^ 立川 2013, pp. 96-97.
  18. ^ 伊藤武 2011, p. 258.
  19. ^ 立川 2013, p. 100.
  20. ^ 伊藤武 2011, p. 91-92.
  21. ^ Mayo 1983.
  22. ^ [2]
  23. ^ 伊藤武 2011, p. 268.
  24. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 39-40.
  25. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, p. 148.
  26. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 105-111
  27. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 150-151; 山下 2009, pp. 183-184.
  28. ^ 山下 2009, p. 183.
  29. ^ 山下 2009, p. 198.
  30. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 231-233.
  31. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 22-23, 260-261.
  32. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 266-267.
  33. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 261, 271.
  34. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 89-94.
  35. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 241-242.
  36. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, p. 234.
  37. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, p. 215.
  38. ^ Ruiz, Fernando Pagés. "Krishnamacharya's Legacy." YogaJournal.com and Yoga Journal, May/June 2001.
  39. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, p. 228.
  40. ^ 山下 2009, pp. 198-199.
  41. ^ シングルトン, 喜多訳 2014, pp. 27-28, 174-176.
  42. ^ a b c ヨガ アメリカ国立衛生研究所 「統合医療」情報発信サイト 厚生労働省「統合医療」に係る情報発信等推進事業
  43. ^ Yoga Journal “Yoga Journal Releases 2008 ‘Yoga in America’ Market Study.” Archived 2011年8月9日, at the Wayback Machine. February 2008.
  44. ^ ヒクソン・グレイシーとヨガ ヨガの光の行く先・ヨガの森 2009年7月9日
  45. ^ ヒクソン・グレイシーとヨガ③ RESPECT RG 2003年09月09日
  46. ^ 山下 2009, p. 202.
  47. ^ ブロード, 坂本訳 2013, p. 316.
  48. ^ 山下 2009, pp. 203-204, 213.


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