ドーファン 起源

ドーファン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/28 09:54 UTC 版)

起源

ドーフィネの紋章

ヴィエンヌ伯ギーグ8世はイルカ紋章を用いていて、ル・ドーファン(le Dauphin, フランス語でイルカ)の異名を持っていた。「ヴィエノワのドーファン」の称号はアルボン伯の家系によって受け継がれてきたが、嗣子のないアンベール2世英語版1349年ドーフィネと呼ばれるようになっていた荘園をフランス王フィリップ6世に売却した際、以後はフランス王位の相続人のみがドーファンの称号を用いるという取り決めがなされた。一方、他にドーファンの称号を使っていたヴィエンヌ伯家の分家であるオーヴェルニュ伯の子孫は「オーヴェルニュのドーファン」(ドーファン・ドーヴェルニュ、dauphin d'Auvergne)の称号を保持・使用し、それはフランス革命まで続いた。

最初にドーファンの称号を与えられたフランス王子はフィリップ6世の孫シャルル5世であった。売却交渉の当時、法定推定相続人であったのはフィリップ6世の息子のノルマンディー公ジャン(後のフランス王ジャン2世)であり、ジャンの所領となることが念頭に置かれていたが、フィリップ6世が亡くなったため、ジャンの息子シャルルに与えられることになった。この称号はおおよそイングランドにおけるプリンス・オブ・ウェールズに相当するものである。1461年以前は正式には「神の恩寵による、ヴィエノワのドーファン、ヴァランティノワおよびディオワの伯爵」(par la grâce de Dieu, dauphin de Viennois, comte de Valentinois et de Diois)といった。当時のヴィエンヌは神聖ローマ帝国領であり、シャルルは成人した後、叔父である神聖ローマ皇帝カール4世にヴィエンヌに関する臣従礼を捧げた。

ヴァロワ=アングレーム朝の祖フランソワ1世は、父の従弟(従叔父)であるヴァロワ=オルレアン家ルイ12世から王位を継承したが、ドーファンの称号は授かっていなかった。また、ルイ14世の治世には、ドーファン・ド・ヴィエノワではなく、ドーファン・ド・フランスと呼ぶようになった。







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