ドレフュス事件 (映画シリーズ)
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作品分析
スタイル
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『ドレフュス事件』は、映画史初期に欧米で普及したジャンルである「再構成されたニュース映画(actualité reconstituée)」[注 6]のひとつに数えられる[30][31][32]。再構成されたニュース映画は、現実の光景や出来事をそのまま記録した映画史初期の主流のジャンルであるアクチュアリティ映画とは異なり、ミニチュアモデルや舞台装置を使用して、時事的な出来事を劇的に再現した作品のことであり、ドキュメンタリーと物語映画の中間に位置するジャンルとなる[30][31]。映画史研究者の小松弘によると、このジャンルは事実に基づいて出来事を再現し、ニュース映画のカメラマンが撮影できなかった場面を観客に報道するという点ではノンフィクションであり、事件そのものの記録ではなく、再現によるダイエジェティック(物語世界内に実在する要素)なものであるという点では明らかにフィクションであるという[33]。
『ドレフュス事件』のスタイルは、他のメリエス作品と同様に演劇的なものであり、映画史家のジョルジュ・サドゥールはそれを「映画撮影された演劇」と呼んだ[34]。それぞれの作品のシーンは、未編集のワンショットで撮影されており、メリエスを含む俳優は故意に芝居がかった誇張した演技をしている[35][36]。カメラは劇場の観客席から舞台を見ているような視点で固定撮影されており、サドゥールはそれを「一階最上等席の紳士」の視点と呼んだ。そのためシーンは舞台全体が見えるようなアングルで撮影されている[34]。それでもこのシリーズは、メリエスの有名なファンタジックな作品で使われている動的な演劇スタイルとは著しく異なる、映画的なリアリズムに重点が置かれている[16]。それぞれのシーンの図的構成は、当時の絵入り雑誌や新聞に掲載された事件のイラストにモチーフを得ており[33]、例えば、「レンヌ高校から牢獄へ向かうドレフュス」は、フランスの挿絵入り週刊紙『イリュストラシオン』に掲載されたニュース写真に基づいている[37][38]。また、サドゥールは、「ジャーナリストたちの乱闘」では一度だけ俳優たちをカメラの方に近づかせることで、故意に本物のニュース映画のスタイルを採用していると指摘している[38]。
テーマ
このシリーズではドレフュスを同情的に描いており、主演俳優の演技はドレフュスが無実であることを示唆するように演出されている[39]。サドゥールによると、ドレフュス支持派のメリエスは、観客がドレフュスに対して心を動かすのに最も適切なエピソードをわざわざ選んでシリーズを構成しているという[38]。メリエス自身がラボリ弁護士役を演じたことも、ドレフュスの主張に対する支持を暗示しているものと考えられている[40][41]。メリエスが晩年に書いた回想録では、ドレフュス事件の出来事の客観的で政治的偏りのないイラストレーションを作るつもりだったと主張している[40]。しかし、メリエスが書いたと思われるシリーズの英語の説明では、堕落(ドレフュスが階級と名誉を剥奪されるシーン)を「ドレフュスに対する最初の不当な行為」と説明し、現存する「悪魔島」の英語版広告では、映画がドレフュスを殉教者として示していることを知らせている[18]。
読み書きをする登場人物のイメージは、シリーズ全体にいくつも見られ、ドレフュス事件におけるさまざまな文書の重要性を常に想起させる役割を果たしている[42]。映画研究者のエリザベス・エズラによると、このイメージはメリエスが撮影プロセス自体について自己言及的に発言した「映画が新しい形式の文書になる可能性」について指摘していることを示唆しているという[43]。エズラはまた、軍事裁判のシーンで目立つように存在する十字架のように、「殉教の共有によるキリストのイコンとドレフュスとの類似性と、ユダヤ人の立場としてのドレフュスのキリスト教からの疎外を、一度に喚起するようなスティグマ(負の烙印)」という主題のイメージが使われていることを強調している[39]。
注釈
- ^ 英語タイトルはThe Dreyfus Affair、またはDreyfus Court-Martial[3]。
- ^ 1899年6月、フランス最高裁はドレフュスへの判決を取り消し、裁判のやり直しをすることを決め、それによりドレフュスはディアブル島での長い監禁生活を終えてフランス本国へ戻った[7]。
- ^ ドレフュスは有罪判決の直後、大統領特赦を受けて解放された[8]。
- ^ スター・フィルムのカタログのロンドン版では、この作品番号は217番となっている[10]。
- ^ ジョン・バーンズは、このバージョンがフェルディナン・ゼッカによって監督された可能性があると指摘しているが[14]、映画史家のジョルジュ・サドゥールはそれを否定し、「名前の分からない演出家がパテ社のために監督した」と述べている[15]。
- ^ 「再現されたニュース映画」[28]、「再構成されたアクチュアリティーズ」[29]ともいう。
出典
- ^ a b c Hammond 1974, p. 139.
- ^ Hammond 1974, p. 42.
- ^ Barnes 1992, p. 71.
- ^ a b エリック・バーナウ 著、安原和見 訳『ドキュメンタリー映画史』筑摩書房、2015年1月、30頁。ISBN 978-4480873781。
- ^ メリエス 1894, p. 229.
- ^ Frazer 1979, pp. 78–80.
- ^ メリエス 1994, p. 232.
- ^ サドゥール 1994, p. 151.
- ^ 情報源について、タイトルとフィルムの長さはMalthête & Mannoni 2008, p. 340、時系列順はFrazer 1979, pp. 78–80、各作品の梗概はBarnes 1992, pp. 71–72に転載されたDreyfus Court-Martialのシノプシスに基づく。時系列順とイギリスのタイトルも、このシノプシスから確認することができる。また、日本語タイトルはメリエス 1994, p. 497に基づく。
- ^ Malthête & Mannoni 2008, p. 340.
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- ^ a b Malthête 2015, p. 6.
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- ^ Datta 2013, pp. 50–52.
- ^ “Collections Search”. BFI National Archive. British Film Institute. 2017年12月24日閲覧。
- ^ Frazer 1979, p. 76.
- ^ Datta 2013, p. 56.
- ^ Maine, David (2011年9月29日). “A Mystery 100 Years in the Making: 'Paper Conspiracies'”. PopMatters. 2022年2月15日閲覧。
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