ドラキュラハンター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 02:10 UTC 版)
映像資料
- 「カルトQ」において「コンピューターゲーム2」のオープニング映像で本ゲームが使われている。これは、当時浅草で営業していた「ゲーム博物館」で稼動中の実機から撮影したものである。
中古基板
- 中古アーケードゲーム基板市場にも、多数の基板が比較的高額で出回っていたとされ、渋谷で運営していた基板屋「タイムマシン」では15万円で売り出されていた記録がある。
- ゲーム評論家として有名だった渋谷洋一は「自分にとって世界一大事なものは、同ゲームの基板だ」と語っている。「ファミ通」で連載されていた鈴木みその漫画の中で、『ドラキュラハンターの基板は50万円位の値が付く』との台詞があり、基板の相場に影響を与えた。
- 海外版も存在しており、1995年当時、基板の相場が50万円前後といわれた国内版に比べて10~20万の相場で取引されていた。
- メッセサンオーでは販売基板を筐体に入れて遊べるようにしており、『ドラキュラハンター』も稼動していた時期があった。ただし現在は同店自体が中古基板業から撤退している。
- 近年ではヤフオクや中古基板店でも出品されたり販売される事は極めて少なく、基板の入手は難しくなっている。2018年5月にオークションに出品されたものは純正のインストラクションカード・コントロールパネル付きであったが、最終的に270万円以上で落札された。[1]
その他
- 「月刊アルカディア」の記事によれば、流通を実績の無かった当時のテーカン(テクモ)に頼ったために流通量が少なく、しかも当時としては高額で殆ど使われていなかった、カスタムICを採用していたという。
- インストラクションカードは、テーブル筐体の場合画面の左右に掲示されることが多いが、同ゲームは手前に掲示されている。
テクノン工業
ゲームのフライヤーによれば、ドラキュラハンターを出した時点では東京都千代田区麹町1丁目7-12館2Fに本社があった。発売されたゲームについては以下のタイトルが確認されているが、「月刊アルカディア」には全5作リリースという証言も載せられている。
- フリッパー7(1978年)
- 「サンデー毎日」1978年11月5日の広告記事によると、アタリが開発・発売していた VideoPinball の LSI を輸入し、同チップを採用したアーケードゲーム。[2]
- ビームインベーダー(1979年)
- 『スペースインベーダー』がヒットした際、国内の殆どのメーカーが発売した亜流の一つ。主な特徴としては
- システム基板がタイトーと全く異なる(これはむしろ後世に大手となるメーカーの方がタイトーのコピーを多用し、零細メーカーは独自に作った所が多かった)
- 画面表示が白黒。
- キャラデザインが微妙にタイトーと異なる。
- 文字表示がカタカナ。
- 砲台はレバーでなくパドルコントローラで操作する。
- 同社は『ドラキュラハンター』がデビュー作だと長年思われており、同人誌「究極ビデオゲームリスト」にも、『ドラキュラハンター』と『トロピカルダイブ』しか掲載されていなかった。しかし2002年11月に突如、このゲームがMAMEバージョン0.62でリリースされ、同社の発売作品は最低3作存在することが明らかになった。またその数ヵ月後にはオークションにて同作品の基板が出品されている。
- ドラキュラハンター(1980年1月)
- トロピカルダイブ(1980年5月)
- 『ドラキュラハンター』に次ぐ作品。内容はダイバーを上下左右に動かし、海中の生物を撃って行くというもの。筐体もサウンドも『ドラキュラハンター』から流用されている。同社は『トロピカルダイブ』の発売を最後に、倒産もしくは消滅したとされている。
- ^ テクノン工業 ドラキュラハンター イン純正 説無 純正テーブル筐体用パネル付 - Yahoo!オークション、2018年5月19日閲覧
- ^ CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY 家庭用テレビゲーム機究極年表
固有名詞の分類
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