トロイ・マーフィー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 09:35 UTC 版)
経歴
NBA
ノートルダム大学に3年間在籍した後、アーリーエントリーを宣言。2001年のNBAドラフトにおいてゴールデンステート・ウォリアーズから全体14位指名を受けた。ルーキーイヤーの2001-02シーズンは地味な成績で終えたものの、2年目の2002-03シーズンは躍進。開幕から先発起用されると、ダブル・ダブルを量産。10リバウンド以上獲得できる選手として認知されるようになった。2月のオールスターウィークエンドではルーキーチャレンジ(新人のオールスター)に2年目の選手代表として出場した。また、この年のMIPを選出する投票では3位だった。しかし期待された3年目の2003-04シーズンは、故障によって28試合の出場に留まり、不本意なシーズンを過ごした。
2004-05シーズンは3ポイントシュートに目覚める。キャリアでは前年に17本の3Pシュートを試みたのが最高だったが、この年は70試合出場のうち148本ものシュートを放って59本成功させた(確率は.399)[要出典]。オフェンスにおいても平均15.4得点を記録し、また平均10.8リバウンドで一昨年以来のシーズンダブルダブルを記録している。2005-06シーズンは若干成績は下降しているが大きな怪我をすることなく74試合の出場を果たした。
2006-07シーズンは低迷するウォリアーズを再編すべくドン・ネルソンが11年ぶりにHCに就任。開幕前はマーフィーをセンター起用する方針でいたが、結局、アンドリス・ビエドリンシュが先発センターを務めることになり、昨年同様パワーフォワードでの先発になった。また開幕前のプレシーズンゲームにおいて相手選手と接触した際に鼻骨を骨折。開幕戦からはフェイスガードを装着して望むことになった。その後、プレイ面では不調。故障も重なって欠場を繰り返した。そしてシーズン途中の1月17日、トレードによりアル・ハリントン、スティーブン・ジャクソン、シャルーナス・ヤシケヴィチュス、ジョシュ・パウエルと交換で、マイク・ダンリービー・ジュニア、アイク・ディオグ、キース・マクリオドと共に、インディアナ・ペイサーズへ移籍した。
2010年オフに、トレードで、ニュージャージー・ネッツへ移籍。
2011年2月23日に、ユタ・ジャズ(当時)のデロン・ウィリアムスらが絡む、三角トレードにより、かつて所属したゴールデンステート・ウォリアーズへ放出された後、バイアウトで解雇され、3月2日にボストン・セルティックスと契約。
2011-12シーズンはロサンゼルス・レイカーズでプレーし、2012-13シーズンはダラス・マーベリックスで数試合プレーした後解雇され、引退となった。
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 |
ボブ・ダンドリッジ デロン・ウィリアムス トロイ・マーフィー グラント・ヒル ブランダン・ライト |
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 |
デイブ・ビン ボブ・ダンドリッジ トロイ・マーフィー グラント・ヒル マイケル・ジョーダン |
ボストン・セルティックスの選手 |
マイケル・フィンリー デイブ・ビン トロイ・マーフィー チャック・コナーズ ポール・ピアース |
ゴールデンステート・ウォリアーズの選手 |
コーリー・マゲッティ アル・ハリントン トロイ・マーフィー ブランダン・ライト ヴィクター・アレクサンダー |
ニュージャージー・ネッツの選手 |
マーカス・ウィリアムズ デロン・ウィリアムス トロイ・マーフィー ステフォン・マーブリー マイク・ニューリン |
インディアナ・ペイサーズの選手 |
スティーブン・グラハム アル・ハリントン トロイ・マーフィー ブランドン・ラッシュ エイドリアン・ダントリー |
- トロイ・マーフィーのページへのリンク