トリノ=ミラノ時祷書 トリノ=ミラノ時祷書の概要

トリノ=ミラノ時祷書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 19:45 UTC 版)

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『洗礼者ヨハネの誕生』、「画家 G」(トリノ)[1]

来歴

『トリノ=ミラノ時祷書』の制作が始まったのは1380年か1390年ごろのことである。おそらく制作依頼主は、後にこの時祷書の所有者となる、フランス王シャルル5世の弟で、当時もっとも多くの装飾写本を収集していたベリー公ジャン1世だったと考えられている。また他の説として、シャルル5世とジャン1世の伯父で、フランス宮廷の有力者だったブルボン公ルイ2世が依頼主ではないかとするものもある[4]。「時祷書」という名前で呼ばれてはいるものの、その内容は時祷書、祈祷書、ミサ典礼書が組み合わされたようなあまり例のない書物で、内容には多くのミニアチュールが使用されている。最初に制作にかかわった芸術家は、当時の第一人者で「ナルボンヌ祭壇画の画家」または「パルマンの画家」(en:Master of the Parement) と呼ばれていた画家だった[5]。おそらくジャン1世がこの時祷書を所有していたと思われる1405年ごろには他の芸術家も制作に関与するようになり、その後、未完成の状態だった装飾写本はジャン1世の財務担当官ロビネ・デゼスタンに下賜され、デゼスタンの手によって複数に分割された[6]。分割された時祷書のうち、デゼスタンはミニアチュールの大部分が完成していた部分を手元に残し、これが後に『ベリー公のいとも美しき聖母時祷書』として知られるようになる[7]。『ベリー公のいとも美しき聖母時祷書』は18世紀までデゼスタン家が所有していたが、19世紀にこの時祷書を所有していたロートシルト家から、1956年にパリのフランス国立図書館に寄贈された[8]。25点のミニアチュールが描かれた126枚の二折版で、ミニアチュールのうち最後に描かれたものは1409年ごろの作品であり、このなかにはリンブルク兄弟が描いた作品が含まれている[9]

『聖十字架の発見』、「画家 G」(トリノ)。

ロビネ・デゼスタンはジャン1世から下賜された時祷書のうち『ベリー公のいとも美しき聖母時祷書』以外の部分は売り払ったと考えられている。このことから、当時の装飾写本ではテキストよりも挿絵たるミニアチュールが重要視されていたということができる。デゼスタンが売り払ったのは、文章こそ完成していたがミニアチュールはほとんど描かれていなかった部分で、これらはネーデルラントの芸術家を庇護した、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公ヨハン3世[10]、あるいはその一族が1420年までに入手した[11]。そして、ヴィッテルスバッハ家が入手して以降、装飾写本には2度にわたってミニアチュールが追加されており、最後に手が加えられたのは15世紀半ば近くになってからのことだった。美術史家ジョルジュ・ユラン・ド・ルーは、この装飾写本には11人の画家のミニアチュールが確認できるとし、「画家 A」から「画家 K」までの作品として分類した[12][13]。 その後、この装飾写本はブルゴーニュ公フィリップ3世、あるいはブルゴーニュ宮廷の関係者の所有となっている。バイエルン公家の宮廷画家だったヤン・ファン・エイクが、ヨハン3世の死後にブルゴーニュ公家の宮廷画家になっていることから、ヤン・ファン・エイクがブルゴーニュ公国へと装飾写本を持ち込んだ可能性もある。

ブルゴーニュ公国へ持ち込まれた装飾写本の大半がもとの時祷書の祈祷書部分であり、これがのちに『トリノ時祷書』として知られるようになった。1479年にサヴォイア家の所有となり、1720年にサルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世がトリノ国立図書館へと寄贈した。しかしながら、1904年にトリノ美術館が火災にあい、所蔵されていた他の貴重な写本ともども、『トリノ時祷書』は40点のミニアチュールが描かれた93枚分が焼失、破損してしまった[14]。火災にあう以前の1800年ごろに、イタリアの王族と思われるコレクターが、『トリノ時祷書』のうちミサ典礼書にあたる部分をフランスのパリへと持ち込んでおり、これがのちに『ミラノ時祷書』と呼ばれるようになったものである。そして1904年の火災の後、28点のミニアチュールが描かれた126枚分の『ミラノ時祷書』を、トリノが1935年に入手し[15]、現在トリノ市立美術館の所蔵となっている。また、オリジナルの『トリノ時祷書』から、おそらくは17世紀に8枚分が除かれている。そのうち、5点のミニアチュールが描かれている4枚はルーヴル美術館が所蔵しており、この5点のミニアチュールのなかで、大きめの作品4点はフランス時代にフランス人画家が描いたもので、残る作品1点は後年になってからフランドル時代に追加されたものである (RF 2022-2025)[16]。最後期になってから追加されたミニアチュールが描かれた1枚を、アメリカのJ・ポール・ゲティ美術館が所蔵しているが、これはベルギーのプライベートコレクションから、一説では100万米ドルで購入したものだといわれている[17]

ミニアチュールと縁飾り

『ベリー公のいとも美しき聖母時祷書』、フランス国立図書館(パリ)。
「ナルボンヌ祭壇画の画家」またはその工房が描いたページ。縁飾り部分にある小さな絵は、別のミニアチュール作家の手によるものである

『トリノ=ミラノ時祷書』のページのサイズは284mm x 203mm程度である。ほとんどすべてのページに挿絵が描かれており、4行のテキストの上に主たるミニアチュールが、ページ下部に細長い小さな挿絵があるという形式となっている。ほとんどのミニアチュールが、そのページのテキストの最初の部分を表現したもので、テキストの最初の文字は飾り文字、あるいは精緻な装飾を施した四角形のなかに書かれている。ページ下部の挿絵は、宗教的題材または旧約聖書に題材をとったメインのミニアチュールとなんらかの関連を持つ、当時の生活風景が描かれていることが多い。

縁飾りには一つの例外を除いて、シンプルなデザインで、木の葉を様式化したものが全般にわたって使用されており、縁飾りのほとんどは、制作開始初期の14世紀の時点でほとんど完成していた。縁飾り部分の制作は、工房の若手芸術家や下請けの職人が行った可能性がある。最初期に完成したページの縁飾りには、ミニアチュール作家による小さな天使、動物(多くは鳥)、人物などが描かれていた。しかし後年になってから完成したページの縁飾りには、このような装飾はほとんど描かれていない。

前述の一つの例外となっている縁飾りが使用されていたのは、「画家 H」による聖母子が聖女たちに囲まれている場面 (Virgo inter Virgines) が描かれているページだったが現存していない。このページに使用されていた縁飾りは、1430年以前に描かれていた他のページと同じような縁飾りを一部そぎ落として、15世紀後半の様式による華麗な装飾で上描きされている。これはおそらく、もとの縁飾り部分に当時の所有者の肖像が描かれていたためで、その肖像の痕跡も確認することができる[18]




  1. ^ Enlarged details, and commentary in French
  2. ^ ファン・エイク兄弟の親族ともいわれている。
  3. ^ Walther & Wolf, p.238
  4. ^ Châtelet, p.194
  5. ^ 「ナルボンヌ祭壇画の画家」あるいはその工房によるミニアチュール。
  6. ^ ジャン1世が分割したという説もあるが (Walther & Wolf, p.239)、デゼスタンが分割したという説が多い (Harthan (p.56) and Châtelet (p.194))。
  7. ^ よく似た名称の『いとも美しき聖母時祷書』と呼ばれる、同じくベリー公が制作させた時祷書がブリュッセルに所蔵されている。こちらの時祷書のミニアチュールは、主にジャクマール・ド・エダン (en:Jacquemart de Hesdin) に手によるものである。
  8. ^ BnF 67 miniatures online – note Ms number & start at "Cote"
  9. ^ Walther & Wolf, p.234
  10. ^ ヨハン3世は、ブルゴーニュ公フィリップ3世に仕える以前のヤン・ファン・エイク宮廷画家としていた。
  11. ^ Châtelet, p.27 ff. ホラント伯ヴィッテルスバッハ家はフランスとブルゴーニュのヴァロワ家と関係が深い一族だった。ブルゴーニュのヴァロワ家は、ヴィッテルスバッハ家の所領だったネーデルラントの諸伯領を相続している。ロビネ・デゼスタンが手放した装飾写本を最初に入手したのはヨハン3世の長兄バイエルン公ヴィルヘルム2世といわれている (Kren, p. 83)。しかしながらこの説に反対を唱える学者も存在する (Châtelet p.28、Harthan, p.56)。
  12. ^ Bernhard Ridderbos in Early Netherlandish Paintings, 240, Bernhard Ridderbos, Henk Th. van Veen, Anne van Buren, Amsterdam University Press, 2004 ISBN 90-5356-614-7
  13. ^ Hulin de Loo biography
  14. ^ Finns Books
  15. ^ トリノが購入したとも、あるいはトリノに寄贈されたとも言われる。
  16. ^ ルーヴル美術館 Archived 2011年5月21日, at the Wayback Machine.
  17. ^ Getty Museum Also No.1 in Kren & McKendrick. On the price, see this somewhat garbled report (last sentence, in French)
  18. ^ Châtelet, pp.198 - 199 and plate p.29
  19. ^ Kren & McKendrick, 85 & n.9 on 87
  20. ^ Quoted Kren & McKendrick, p.83
  21. ^ Ridderbos, op. & page cit.
  22. ^ Friedlaender, pp. 8 - 11. フリートレンダーがこの説の提唱者だとも言われている。
  23. ^ Kren, p.83
  24. ^ Kren in Kren & McKendrick, p.84
  25. ^ Kren, 83, see also Châtelet, pp. 28 - 39, pp. 194 - 196, who analyzes the Hand G (and H) miniatures at length.
  26. ^ Châtelet p.200
  27. ^ Kren, p84, note 1. Châtelet, pp.34 - 35 and pp.194 - 196. シャトレは、ルーヴル美術館が所蔵している「キリストとマリアの仲介」も「画家 G」の作品だとしている(Châtelet, p.195)。
  28. ^ Châtelet, pp.194 - 195
  29. ^ Châtelet, pp.28 - 32, pp.194 - 195
  30. ^ バーテルミー・デックまたはジャン・コロンブという説もある。
  31. ^ Châtelet, p.32
  32. ^ Friedländer, p.10
  33. ^ Clark, pp.31 - 32
  34. ^ Russell, pp.4 - 5
  35. ^ Kren, p.83
  36. ^ Turin-Milan Hours facsimile
  37. ^ Facsimile of the "Très Belles Heures de Notre Dame"
  38. ^ Louvre leaves facsimile
  39. ^ JSTOR Art Bulletin review by James Marrow


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