テゲトフ級戦艦 機関

テゲトフ級戦艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 00:52 UTC 版)

機関

航行するフィリブス・ウニティスを描いた絵

1番艦から3番艦については、主缶をヤーロー式石炭・重油混焼缶とし、12基を搭載した。主機械は当時の最新技術である蒸気タービンを選択し、パーソンズ式直結タービンを採用した。この蒸気タービン機関は、それぞれ別個の推進器を有する高圧タービンと低圧タービン各1基を1組とする構成としており、これを各舷1組宛搭載し、2組4軸で機関出力27,000軸馬力を得、速力20.3ノットを達成した。

4番艦「セント・イシュトヴァーン」のみは機関部の構成が異なり、主缶はパブコック&ウィルコックス社製石炭・重油混焼缶12基とし、主機械もAEG-カーチス式直結タービン2基とした。機関出力26,400軸馬力を2軸で賄い、速力は20.0ノットとなった。

フィリブス・ウニティスの断面模型

1番艦から3番艦までの機関配置は、一つの缶室につき主缶3基ずつを並列に二列に配置して6基を搭載し、缶室2室の後方に縦隔壁で左右に分かれた機械室が配置され、各機械室内には外側に高圧タービン1基、内側に低圧タービン1基が設置された。缶室・機械室を交互に分離する配置は採用されておらず、状況によっては1発の被弾で双方の缶室の破壊につながる恐れはあった。4番艦「シュツェント・イストファン」は機械室の構成を異にするものの、同艦の喪失時の浸水拡大はこの缶室配置も影響した可能性が考えられる。第2缶室からの浸水は隔壁により抑えられる筈で、第1缶室の発生蒸気で駆動する蒸気ポンプで排水作業を行ったが、浸水を隔壁が止められずに遂に第1缶室も冠水して排水が不可能になり、航行も不能となった。

同型艦

写真はポーラ軍港に憩う本級3隻。中央右奥に見えるのは前弩級戦艦エルツヘルツォーク・カール級の1隻
STT(スタビリメント・テクニコ・トリエスティノ)社サン・マルコ造船所(トリエステ)にて1910年7月24日起工、1911年6月20日進水、1912年10月5日竣工。第一艦隊第一戦隊に配属。当初はオーストリア海軍のヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督の名を冠する予定であったが、フランツ・ヨーゼフ1世の要望で本人のモットーである「フィリブス・ウニティス」と改名された。(ただし、艦級名はテゲトフのままであった)「フィリブス・ウニティス(Viribus Unitis)」とはラテン語で「力を合わせて」の意味。1916年、オーストリア・ハンガリー二重帝国海軍旗艦に就く。1918年にユーゴスラビア国成立後に10月31日、ポーラ軍港にて戦艦ユーゴスラヴィアと改名。ユーゴスラビア人により運用されることとなった。11月1日にイタリア海軍の工作員2名により艦底部にミグナッタ爆薬(リンペット機雷)を仕掛けられ、6時28分に爆発して横転沈没した[9]。その後は1920年から1930年代にかけて解体処分された。
STT社サン・マルコ造船所(トリエステ)にて1910年5月24日起工、1912年3月31日進水、1913年7月14日竣工。第一艦隊第一戦隊に配属。第一次世界大戦勃発時にオーストリア・ハンガリー二重帝国海軍旗艦に就き、1916年に旗艦任務をフィリブス・ウニティスに異動させて退く。1918年6月10日イタリア海軍の魚雷艇の襲撃により魚雷1本を受けるも不発。1919年3月25日に賠償艦の指定を受けてイタリアに引き渡され、1925年に解体処分。
STT社サン・マルコ造船所(トリエステ)にて1912年1月16日起工、1912年11月30日進水、1914年7月8日竣工。第一艦隊第一戦隊に配属。1920年に賠償艦の指定を受けてフランスに引渡し。フランス海軍移管後は武器・装甲を撤去されて標的艦として運用されて1922年に砲撃目標として撃沈処分。
ダヌビウスフィウメ造船所にて1912年1月29日起工、1914年1月17日進水、1915年11月17日竣工。第一艦隊第一戦隊に配属。1918年6月10日に連合国により閉塞されたオトラント封鎖線の突破を図るもイタリア海軍の魚雷艇からの雷撃を受け、2発が右舷中央部に命中。応急処置の失敗により浸水が拡大して「テゲトフ」による曳航を行うも失敗。横転沈没。

  1. ^ a b c 『福井静夫著作集 第六巻-軍艦七十五年回想記 世界戦艦物語』 pp.171-175
  2. ^ 本級に限らず弩級戦艦は従来の戦艦に比較して主砲門数を大幅に増加したことから、艦上の爆風の影響が著しくなり、露天甲板上の装備の爆風対策が強化されることとなった。艦載艇については爆風の影響が最も少ない艦中央部煙突付近に収容するようになった(『福井静夫著作集 第六巻-軍艦七十五年回想記 世界戦艦物語』 p.63)。
  3. ^ a b c イカロス出版:刊「ミリタリー・クラシックス Vol.67 WW2兵器名鑑 第18回 テゲトフ級戦艦(オーストリア=ハンガリー)」(文/すずきあきら イラスト/みこやん) 2019年
  4. ^ 福井静夫は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の戦艦の特徴として、比較的小型・高速であり、多島嶼水域や狭水道での運動に適した構造であることを挙げている(『福井静夫著作集 第六巻-軍艦七十五年回想記 世界戦艦物語』 pp.171-175)。
  5. ^ 光人社 軍艦と砲塔 2018年
  6. ^ 同時代のイタリア海軍の「ダンテ・アリギエーリ」の三連装砲塔は、砲塔1基につき3基の揚弾機を持っていた。
  7. ^ Russell Phillips Military technology and history>Szent István: Hungary’s Battleship>The Ship|June 2013|Russell Phillips ※2020年8月31日閲覧
  8. ^ 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社) pp.76-77
  9. ^ 休戦に先立って新設されたユーゴスラビア海軍の管理下に本艦が入った1日後のことであることから、イタリア海軍がユーゴスラビア海軍に艦を渡さないために行った作戦行動であったと見られる。





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