ダビデ・サントン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 05:41 UTC 版)
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インテル時代のサントン (2009年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | バンビーノ (少年) | |||||
ラテン文字 | Davide Santon | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1991年1月2日(32歳) | |||||
出身地 | ポルトマッジョーレ | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (SB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1999-2005 | ラヴェンナ | |||||
2005-2008 | インテル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2011 | インテル | 40 | (0) | |||
2011 | → チェゼーナ (loan) | 11 | (0) | |||
2011-2015 | ニューカッスル | 82 | (1) | |||
2015 | → インテル (loan) | 9 | (0) | |||
2015-2018 | インテル | 41 | (0) | |||
2018-2022 | ローマ | 42 | (0) | |||
通算 | 225 | (1) | ||||
代表歴2 | ||||||
2007 | イタリア U-16 | 4 | (2) | |||
2007-2008 | イタリア U-17 | 12 | (2) | |||
2008 | イタリア U-20 | 2 | (0) | |||
2009-2013 | イタリア U-21 | 17 | (0) | |||
2009-2013 | イタリア | 8 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年9月9日現在。 2. 2022年9月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
クラブ
- インテル
10歳でラヴェンナ・カルチョの下部組織に入団。当時からインテル・ミラノは彼に注目しており、中学卒業と同時に引き抜いた[2]。移籍当初のポジションはウイングだったが、サイドバックにコンバートされた。
2009年1月21日、コッパ・イタリアのASローマ戦でトップチームデビューを果たすと、1月25日のUCサンプドリア戦でセリエA初出場。マイコンという絶対的な右サイドバックがいたため、左サイドバックとしてのデビューだった。2月24日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦でUEFAチャンピオンズリーグに初出場し、クリスティアーノ・ロナウドを封じ込めるなど、質の高いプレーを見せた。ジョゼ・モウリーニョ監督の信頼を得たことにより、デビュー1年目で左サイドバックのマクスウェルからレギュラーを奪い、16試合に出場。チームのセリエA4連覇に貢献した。
2009-10シーズンは膝の怪我などでコンディションが整わず、サントンの代わりにクリスティアン・キブやハビエル・サネッティらが左サイドバックとして先発出場することが増えた。翌2010-11シーズンも低調なパフォーマンスが続いたため[3]、冬の移籍市場最終日の2011年1月31日に長友佑都と入れ替わる形でACチェゼーナにレンタル移籍で放出された。
- ニューカッスル
2011年8月、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCへ完全移籍[4]。同年10月16日のトッテナム・ホットスパー戦で移籍後初出場。シーズン途中に左サイドバックのレギュラーポジションを獲得し、24試合に出場した。翌2012-13、2013-14シーズンも左サイドバックのレギュラーとしてプレーした。
- インテル
2015年2月、古巣のインテルへ買い取りオプション付きのレンタル移籍[5]。シーズン終了後、買い取りでインテル復帰。2016-17シーズンはクリスティアン・アンサルディが加入したことにより左サイドバック争いが激化し、3番手に後退。2017-18シーズンは長友佑都とダウベルトの後塵を拝したが、ルチアーノ・スパレッティの信頼を掴んだことにより出場機会が増加。しかし新加入のジョアン・カンセロにポジションを奪われ、冬に長友がガラタサライSKへ移籍した後も状況は変わらなかった。
- ASローマ
2018年6月26日、ASローマに移籍することが発表された[6]。移籍金は950万ユーロで、契約期間は4年間[7]。
2021-22シーズン終了後は契約満了でローマを退団しフリーとなったが、怪我の影響もあり9月9日に現役引退を発表した[8]。
代表
年代別のイタリア代表を経験した後、2009年6月6日の北アイルランド戦で18歳にしてA代表デビュー。マルチェロ・リッピ監督により同年6月に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップのメンバーにも選ばれたが出場機会はなかった。2011年3月29日のウクライナ代表戦を最後に代表から遠ざかっていたが、2012年11月にチェーザレ・プランデッリ監督によって久しぶりに招集された。
プレースタイル・人物
- 左右の両サイドでプレーすることができるサイドバック。
- ACミランのパオロ・マルディーニもマウロ・タソッティがいたために左サイドにコンバートされた過去があり、この共通点からマルディーニと比較されることも多かった[2]。
- チェゼーナへのレンタルが発表された際にはショックを受け「自分自身に失望している」と話し、チェゼーナで成長してインテルへ復帰することを誓った[9]。またこの移籍を受けU-21イタリア代表監督のチロ・フェラーラはA代表監督のチェーザレ・プランデッリとサントンと話し合い、彼への信頼と期待を表すためにサントンをU-21代表のキャプテンに任命した[10]。
- 前述の通りプレーの詰めの甘さが課題となっている。2017-18シーズンのセリエA第17節ウディネーゼ・カルチョ戦ではPK献上を含む2失点に絡んでしまったほか[11]、その他の試合での中途半端なクロスも問題とされた。
- ^ “[1月2日 今日のバースデー]”. ゲキサカ (2020年1月2日). 2020年7月28日閲覧。
- ^ a b footballista、ソルメディア、2009年2月25日号、23頁
- ^ サントン“優等生”の裏側 Sponichi Annex 2011年2月27日
- ^ メルカート:サントンはニューカッスルへ完全移籍
- ^ サントンのインテル復帰が決定 両クラブが発表 Goal.com 2015年2月3日
- ^ “Roma complete Santon signing” (英語). www.asroma.com (2018年6月26日). 2018年6月26日閲覧。
- ^ ローマ、DFダビデ・サントン&MFニコロ・ザニオーロをインテルから獲得! - 超ワールドサッカー 2018年6月26日
- ^ 元イタリア代表DFサントンが31歳で現役引退、インテルでかつて長友佑都ともポジション争い - 超ワールドサッカー 2022年9月9日
- ^ 長友とトレードのサントン、インテル復帰を誓う Goal.com 2011年2月1日
- ^ フェッラーラ:「再生目指してサントンをU-23主将に」 Livedoorスポーツ 2011年2月8日
- ^ サッスオーロ戦長友佑都の先発は?現地記者は「サントンのポジションを奪う」と予想goal.com 2017年12月22日
- 1 ダビデ・サントンとは
- 2 ダビデ・サントンの概要
- 3 個人成績
- 4 タイトル
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