タルヤ・ハロネン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 16:03 UTC 版)
経歴
- 1968年にヘルシンキ大学を卒業し、法学修士を取得
- 1979年に国会(エドゥスクンタ)議員に初当選。
- 1987年に社会・保健大臣( - 1990年)
- 1990年に法務大臣に就任( - 1991年)
- 1995年に外務大臣に就任( - 2000年、リッポネン内閣)
- 2000年に行われた大統領選挙では社会民主党から立候補し、外務大臣としての実績を生かし、同年2月6日に行われた決選投票の結果、中央党エスコ・アホ前首相を破りフィンランド初の女性大統領となった。
- 2004年10月、来日。
- 2006年1月15日7人が立候補した大統領選挙第1回投票が行われたが、過半数を獲得できず、29日の決選投票でサウリ・ニーニスト(右派、国民連合)を破り再選を決めた。ハロネンは軍事同盟の北大西洋条約機構(NATO)に非加盟を主張していた。
- 2012年3月1日、大統領を退任する[8]。
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左からフィンランドのマリ・キビニエミ首相、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ首相、ハロネン(2010年7月21日)
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アイルランドのメアリー・ロビンソン元大統領と(2012年4月23日)
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ハロネン(2021年8月13日)
注釈
出典
- ^ a b c d “タルヤ・ハロネン ミレニアム・サミット共同議長”. 国際連合広報センター. (2000年9月1日) 2022年7月8日閲覧。
- ^ 石野 2017, p. 240.
- ^ 石野 2017, p. 241.
- ^ 石野 2017, pp. 241, 245.
- ^ 石野 2017, p. 243.
- ^ 石野 2017, p. 245.
- ^ 石野 2017, pp. 244–245.
- ^ “フィンランド大統領選、親EU派のニーニスト元財務相が勝利”. ロイター (2012年2月6日). 2018年5月4日閲覧。
- ^ “妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する”. 東洋経済online. (2022年7月1日) 2022年7月8日閲覧。
- ^ “Conan O'Brien in Finland”. conan-obrien.net (2006年2月16日). 2006年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月13日閲覧。
- ^ finembtokyoのツイート(202626695902150657) 駐日フィンランド大使館 (2012年5月15日). 2016年2月13日閲覧。
固有名詞の分類
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