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ソルトレイクシティ (重巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 00:47 UTC 版)

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注釈

  1. ^ 作中ではっきりと艦名を口にしないが登場人物達が自らの軍艦を「オールド・スウェイバック」と呼ぶ場面がある。
  2. ^ ザカリアス(ザカライアス)は日本通の有名な情報将校の一人[7]高松宮宣仁親王(海軍将校、昭和天皇弟宮)訪米時の御付き武官。ソルトレイクシティ艦長(1940年~1942年6月)を経てアメリカ海軍情報部外国部長[8]。情報部内で目に余る行為が目に付きすぎて左遷された後[9]、終戦直前にいわゆるザカライアス放送によって日本側とコンタクトを取ったことで知られる。

出典

  1. ^ Ships' Data, U. S. Naval Vessels”. US Naval Department. pp. 16–23 (1935年7月1日). 2015年11月13日閲覧。
  2. ^ a b Rickard, J (2014年1月31日). “Pensacola Class Cruisers”. Historyofwar.org. 2015年11月13日閲覧。
  3. ^ 米國巡洋艦二隻、濠洲ブ港に入港 數日間碇泊の豫定”. Kazan Shinbun, 1941.08.06. pp. 02. 2023年11月26日閲覧。
  4. ^ 米巡洋艦二隻 濠洲碇泊地 練習巡洋艦の名目で”. Hawai Mainichi, 1941.08.06. pp. 05. 2023年11月26日閲覧。
  5. ^ 米艦二隻 濠州出港”. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1941.08.11. pp. 01. 2023年11月25日閲覧。
  6. ^ 米巡洋艦濠州へ 注目を惹く行動”. Hawai Mainichi, 1941.08.07. pp. 06. 2023年11月25日閲覧。
  7. ^ 谷光 2000, p. 579.
  8. ^ 谷光 2000, pp. 582–583.
  9. ^ 谷光 2000, pp. 585–586.
  10. ^ ポッター 1991, p. 27.
  11. ^ ポッター 1991, pp. 40–41.
  12. ^ 「作戦経過概要第32号」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C16120684800、昭和17年1月~17年2月 大東亜戦争経過記録”. 防衛省防衛研究所. pp. 2-3. 2023年11月26日閲覧。
  13. ^ ブュエル 2000, pp. 168–169.
  14. ^ 「10.昭和21年8月30日 留守業務局 今次戦争中沈没した日本商船の明細表(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15011152800、「昭和21.06 外地部隊調査表 一復」”. 防衛省防衛研究所. pp. 02. 2023年11月26日閲覧。
  15. ^ ポッター 1991, p. 452.
  16. ^ a b c 小灘・片岡 2006, pp. 81–82.


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