ジンバブエ・ローデシア 概要

ジンバブエ・ローデシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:46 UTC 版)

概要

1978年3月3日に、暫定政府の構成と新憲法に関する協定である「ソールズベリー協定」が調印された。このソールズベリー協定に基づいたジンバブエ・ローデシア憲法が1979年1月2日に発表され、1月31日、大多数が白人選挙人が占める国民投票によって承認された。新憲法に基づき、1979年4月17日から5日間、ローデシア初の一人一票制にもとづく総選挙(投票率64.5%)が実施され、その結果、アベル・ムゾレワ率いるUANCが得票率67%、51議席を獲得して第一党となり、1979年6月1日、「ジンバブエ・ローデシア」という新たな国名のもとに、アベル・ムゾレワを首班とする初の黒人政権が誕生したのだった。

しかし国内の混乱は収まらず、ロンドンで制憲会議が始まった1979年9月10日以降も、政府軍とゲリラとの間で激しい戦闘が行われた。会議開始から1か月間の死者数は、ローデシア時代を上回る約850人となった[1]

脚注

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関連項目

外部リンク


  1. ^ 数字 『朝日新聞』1979年(昭和54年)10月14日朝刊 13版 7面


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