ジャアファル・サーディク ジャアファル・サーディクの概要

ジャアファル・サーディク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ジャアファル・サーディク
書道 ジャアファル・サーディク
生誕702年4月20日
ヒジャーズ マディーナ
死没765年12月13日
ヒジャーズ マディーナ ジャンナトゥル・バキー墓地
死因
著名な実績シーア派の6番目のイマーム。 イスラム教の預言者ムハンマドの家族から。
後任者ムーサー・カーズィム
子供ムーサー・カーズィム+9
ムハンマド・バーキル(父親)
ええと、ファーワー(母親)

ジャアファル・アッ=サーディクアラビア語: جعفر الصادق‎, 702年4月20日 - 765年12月13日[1])、全名アブー・アブドゥッラー・ジャアファル・イブン・ムハンマド・イブン・アリー・イブン・フサイン・アッ=サーディクは、シーア派イマーム派の第6代イマーム。アッ=サーディクとは「信に値する者」の意。

クーファの街を拠点に活動し、神学者・法学者としても著名。ジャアファル・アッ=サーディクの法判断はのちのシーア派法学においてジャアファル法学派の基礎となっており、イマーム派シーア派の教義を確立したイマームといってよい。しかしジャアファル・アッ=サーディクの名声はシーア派内に留まるものではなく、信頼性の非常に高いハディースの伝承者として、また学問全般に対する貢献からスンナ派のあいだでも高い崇敬を受けた。

またジャアファル・アッ=サーディクの後継をめぐって、のちに主流派となる12イマーム派と今日のアーガー・ハーンの家系に連なるイスマーイール派との分裂がおこっている。


  1. ^ جعفریان، رسول 『. حیات فکری و سیاسی امامان شیعه علیهم السلام.』انصاریان、2002年、362頁。 
  2. ^ 嶋本隆光 (2007). シーア派イスラーム:神話と歴史. 京都大学出版会 


「ジャアファル・サーディク」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジャアファル・サーディク」の関連用語

ジャアファル・サーディクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャアファル・サーディクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャアファル・サーディク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS