ジェームス・オグルソープ ジェームス・オグルソープの概要

ジェームス・オグルソープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 14:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ジェームス・オグルソープ
ジェームズ・オグルソープ(ジョージア州会議事堂蔵)
ジェームス・オグルソープの銅像

フリーメイソンのメンバーで、ジョージア植民地サバンナ都市計画を手がけ、現在ジョンソン広場に銅像が建てられている。単なる植民地の建設者としてだけでなく、植民地を守る軍人としても称えられている。

軍人のうちはロンドンエセックスで過ごし、よく晩餐会を開いていたという。1733年に良家の娘と結婚し、その年に技術将校としてサバンナに赴任している。

博愛主義者であった彼は負債のために苦しんでいた人々の移住先を築こうと、アメリカの地にやってくることになった。オグルソープがサバンナで実施した計画は土地を中心部と公園、農園の区画とに分け、広場とグリッド状の道路配置、公共用地やコモン・スペースが配置されて、40の庭付き宅地から成立する地区を組織化して整備し、入植者たちに18か月以内に自宅を完成させ、10年かけて10エーカーの農場を作物の育つ耕作地として整備することを奨励した。

1740年にはジョージアからフロリダに侵入するが撤退し、サンマルコスに侵攻する。奴隷制廃止論者でもあり、1778年、黒人貧困者解放委員会を設立し、奴隷解放と西アフリカへの入植に尽力し、シエラレオネに会社を設立し、フリータウン発展に寄与した。

参考文献

  • 西出敬一「ジョージア植民地の創設と黒人奴隷制-ジェームズ・オグルソープ の実験」 札幌学院大学人文学会紀要59、1996

関連項目

グレートブリテン議会英語版
先代:
サー・ニコラス・ケアルー準男爵英語版
ブランデル子爵
庶民院議員(ヘイズルミア選挙区英語版選出)
1722年1754年
同職:ピーター・バレル英語版
次代:
ジェームズ・モア・モリニュー英語版
フィリップ・カートレット・ウェブ英語版



「ジェームス・オグルソープ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジェームス・オグルソープ」の関連用語

ジェームス・オグルソープのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジェームス・オグルソープのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジェームス・オグルソープ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS