シャッラの聖母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 03:52 UTC 版)
イタリア語: La Madonna Sciarra 英語: The Sciarra Madonna | |
作者 | ティツィアーノ・ヴェチェッリオ |
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製作年 | 1540年ごろ |
種類 | 油彩、板 |
寸法 | 37.5 cm × 31 cm (14.8 in × 12 in) |
所蔵 | カタルーニャ国立美術館(ティッセン=ボルネミッサ美術館より寄託)、バルセロナ |
作品
聖母マリアは緑のカーテンで覆われた室内で幼児のイエス・キリストを抱いて座っている。幼児キリストを抱きしめる彼女の仕草は愛情にあふれており、穏やかな視線を鑑賞者に向けている。聖母マリアは赤いチュニックを着ており、彼女が座っている椅子は聖母の青いマントで覆われている。ティツィアーノの描写はシンプルかつ素朴であるが、特に配色の点で印象的である。カーテンの濃い緑色は、椅子を覆うマントの青色と対照的であり、さらにこの緑と青は聖母のチュニックの赤と対照的である[1]。座っている人のための足載せ台の側面にはティツィアーノの署名が記されている[2]。聖母のポーズはバース侯爵家のロングリートのコレクションに所蔵されている『エジプトへの逃避途上の休息』(Riposo durante la fuga in Egitto)、幼児キリストのポーズはアルテ・ピナコテーク所蔵の『夕景の中の聖母子』(Madonna col Bambino in un paesaggio serale)との関連性を示唆している[1]。
帰属
19世紀に美術評論家ジョヴァンニ・バティスタ・カヴァルカゼルと美術史家ジョゼフ・アーチャー・クロウは本作品をローマで見ており、1877年にティツィアーノに帰属したが、多くの研究者によって拒否された。この帰属は1956年に絵画が売却された際にウィリアム・ズイダによって再び唱えられ、ロベルト・ロンギ、フィリップ・ヘンディ、1969年にはロドルフォ・パッルッキーニがこの帰属を受け入れている。その一方、バーナード・ベレンソンは1957年のティツィアーノの作品リストに本作品を含めておらず、フィリッポ・ペドロッコ(Filipo Pedrocco)は2001年のティツィアーノの全集から本作品を省略している[2]。フリッツ・ハイネマン(Fritz Heinemann)は1980年、本作品の作風がかなり素朴であることからティツィアーノの息子オラツィオ・ヴェチェッリオの作品であると考えた[1][2]。
制作年代については、ウィリアム・ズイダは1520年から1530年ごろ、フィリップ・ヘンディは1540年ごろと考えた。ハロルド・エドウィン・ウェゼイはこれらよりもずっと早い1515年ごろとしている[1]。
来歴
本作品は19世紀にローマのシャッラ=コロンナ・コレクションによって所有されていたことが知られている。1874年にこれを購入したのは第7代カウパー伯爵フランシス・クーパーであった。購入された絵画はカウパー伯爵家が所有するハートフォードシャー州のカントリーハウス、パンシャンジャーのコレクションに加わった[1][2]。絵画はカウパー・コレクションが売却されるまでの間に、1881年のロイヤル・アカデミー冬季展示会(Royal Academy Summer Exhibition)と、1894年から1895年にかけて開催されたヴェネツィア絵画の展覧会で展示された[1]。その後、カウパー・コレクションは1953年10月16日にクリスティーズで競売にかけられた。その結果、本作品はロンドンの美術商アグニューズに購入され、さらに1956年にティッセン=ボルネミッサ美術館を創設したハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサ男爵に売却された[1][2]。2004年にバルセロナのカタルーニャ国立美術館に貸与された[2][3]。
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- 2 シャッラの聖母の概要
- 3 影響
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