シカゴ双葉会日本語学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 00:41 UTC 版)
キャンパス
全日制校は、1998年に現在のキャンパスに移った[10]。現在のキャンパスは、1983年に閉校となったランド中学校 (Rand Middle School) の施設を利用したものである[6]。
全日制学校が最初に開校した時のキャンパスは、イリノイ州スコーキーのケントン校 (Kenton School) の跡であった[3]。この場所は、現在はアリー・クライン・ヘブライ全日制学校 (the Arie Crown Hebrew Day School) となっている[11]。1984年8月に[3]、全日制学校はイリノイ州ナイルズの旧エマーソン中学校 (Emerson Middle School) [3]の2階建て校舎をパーク・リッジ=ナイルズ学校区64 (Park Ridge-Niles School District 64) から借り受けた[4]。シカゴ双葉会がこの場所を選んだのは、シカゴ周辺において日本人家庭が居住する地域の中心に位置していた ためであった。ナイルズ・キャンパスに日本人学校があった期間には、校内のすべての案内標識は日本語になっていた[3]。かつてのナイルズ・キャンパスは、その後再びエマーソン中学校として使用されている[12]。
生徒
1994年の時点で、生徒のほとんどは日本国籍であった[13]。生徒の大部分は、親がシカゴ大都市圏の会社に赴任している期間だけアメリカ合衆国に在留していた[14]。1986年当時、全日制の生徒たちがおもに居住している地域は、北はディアフィールド (Deerfield)、南はシカゴのノースサイド (North Side)、西はシャンバーグ、東はミシガン湖まで広がっていた。中には、毎日通うことができず、やむなく土曜学校に通っている遠方の生徒もいたが、これには一部の日本企業が、従業員にシカゴ・ループ(Chicago Loop:シカゴの都心部)内に用意された住まいに居住することを求めていたことも関わっていた[3]。1995年当時、大部分の生徒は、シカゴの北方ないし北西方向の郊外から通っており、中には通学に片道1時間近くかけている者もいた[14]。
1986年、土曜学校には、幼稚園から第12学年まで、800人の生徒がいた[3]。1992年には、全日制の小学校と中学校を合わせて280人の生徒がいた。この年、土曜学校の生徒は1000人ほどになっていた[4]。1995年、全日制には、第1学年から第9学年まで275人の生徒がいた[14]。学校がナイルズにあったときには、全日制の在籍者は最大300人ほど、土曜学校は1000人ほどであった。1998年、230人の生徒が全日制学級に在籍し、土曜学級には730人がいた[5]。
1995年当時、アカサカ・ツネオ校長は、日本国籍の生徒たちにとっては、日本への帰国に備えるために公立学校からシカゴ双葉会の学校へ転校することは一般的だと述べていた。アカサカによれば、もし生徒が日本の高等学校に進学せずに、米国の高校に進む場合は、公立学校へ転校することが多い,とも述べていた[14]。
教員
1986年から、日本政府は全日校と補習校に3年のシフトで教員を派遣している。1986年、全日制には21人の専任教員と2人の非常勤教員がおり、このうち14人が日本政府からの派遣教員であった。土曜学校(補習校)には32人の教師がおり、うち2人が派遣教員であった[3]。1992年当時も、日本政府はシカゴ双葉会に16人の教員を送っていた[4]。1995年、全日制には28人の教師がおり、16人が日本からの派遣、12人が現地採用であった。現地採用の教員の一部は、日本語を解さない英語教師であった[14]。
- ^ “園からのお知らせ”. シカゴ双葉会日本語学校. 2012年1月10日閲覧。 “2550 Arlington Heights Rd. Arlington Heights, IL60004”
- ^ a b Lyman, Rick. “The Japanese Way In A Quiet New York School, 463 Children Of Japan's Corporate Elite Get A Proper Education”. Philadelphia Inquirer(フィラデルフィア・インクワイアラー): p. 2 2012年11月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Caitlin, Kay (1986年6月25日). “Japanese School Eases Burden: Futabakai Does Everything Just Like Back Home”. Chicago Tribune: p. F32 2012年1月10日閲覧. "To visit the Chicago Futabakai Japanese School at 8101 Cumberland Ave. in Niles[...]the former Kenton School at 4600 Main St., Skokie,[...]a branch Saturday School[...]the former Niles Township High School East, at Lincoln and Niles Avenues, Skokie[...]Notre Dame High School, 7655 Dempster St., Niles,[...]" (Archive, Page 2, Archive of page 2).
- ^ a b c d e f g h i j Burgos, Frank (1992年6月14日). “School helps kids remain Japanese Tokyo classrooms in Niles”. Chicago Sun-Times: p. 18 2012年1月10日閲覧。
- ^ a b c d Deardorff, Julie; Karen Cullotta Krause (1998年5月20日). “School Mourns In Its Own Way”. Chicago Tribune: p. 1 2012年1月10日閲覧。 (Archive).
- ^ a b c Davis, Jon (1998年4月7日). “Japanese school opens in Arlington Heights”. Chicago Daily Herald: p. 6 2012年1月10日閲覧。
- ^ 山中季広 (1998年5月19日). “ヘリ墜落、3邦人死亡 日本人学校教頭ら 米・シカゴ”. 朝日新聞・夕刊: p. 13 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “シカゴ双葉会日本語学校”. シカゴ日本商工会議所. 2013年9月15日閲覧。
- ^ a b c Evans, Kimberley D. (1990年5月16日). “Life Lessons”. Chicago Tribune: p. 12 2012年1月11日閲覧。 (Archive, Page 2, Archive).
- ^ Davis, Jon (1998年4月6日). “School provides link to homeland for Japanese kids in Chicago area”. Chicago Daily Herald: p. 6 2012年1月10日閲覧。
- ^ "Support ACHDS." Arie Crown Hebrew Day School. Retrieved on January 10, 2012. "4600 Main St Skokie, IL 60076 "
- ^ "banner_ems.jpg." Emerson Middle School. Retrieved on January 10, 2012. "8101 North Cumberland Avenue Niles, Illinois 60714"
- ^ Transpacific, Volume 9, Issues 1-4. AsiAm Pub., 1994. 49. Retrieved from Google Books on January 11, 2012. "Almost 100% of the school's 280 students are Japanese nationals[...]"
- ^ a b c d e f Temkin, Jody. "Just Like Home." Chicago Tribune. January 8, 1995. Tempo Northwest 1. Retrieved on January 10, 2012.
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