サモリ・トゥーレ 戦争と敗北

サモリ・トゥーレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/03 04:53 UTC 版)

戦争と敗北

サモリ軍は近代的な銃器を備えており、常設小隊の複雑な構造だった。同軍はソファ大隊(歩兵のマンディンカ族で、平時は奴隷)と騎馬大隊に分かれていた。サモリは1880年代後半には約3.5万人の歩兵部隊と3000の騎馬部隊を有しており[2]、各々50からなる正規部隊での展開が可能だった。しかし、フランス側は彼にその地位を盤石にする時間を与えたくないと考えていた。

1891年3月、フランス軍がカンカンに直接攻撃を仕掛けた。自分の要塞がフランスの砲兵を止められなかったことを知り、トゥーレは計略戦争を始めた。孤立したフランスの隊列(例えば1891年9月のダバドゥグで)に勝利したにもかかわらず、トゥーレは王国の中核都市からフランス軍を追いやることに失敗した。1892年6月、フランス軍は少数精鋭部隊を率いてサモリ帝国の首都ビサンドゥグを占領した。別の打撃だが、イギリスは1890年のブリュッセル条約 (Brussels Conference Act of 1890に従って後装式銃をトゥーレに販売するのを中止していた。

トゥーレは作戦拠点を東に移し、ダバカラのバンダマ川とコモエ川に向かって進んだ。彼は避難する前に各地域を壊滅させる焦土作戦の方針を定めた。この策略はシエラレオネやリベリアといったトゥーレの近代兵器供給源を遮断してしまったが、それはフランス側の追撃を遅らせることにもなった[7]。1893年の春以降、フランスは1880年代後半より英国商人から供給されていたトゥーレの武器源を部分的に遮断することに成功した。トゥーレは、フランスの利益を嫌って活動するガーナの植民地にいるイギリス人と交渉を試みたが、イギリスはフランスに対して直接介入しなかった[8]

彼はアシャンティ帝国と反植民同盟を築こうとしたが、アシャンティはイギリスに打ち負かされ、1897年にはトゥーレとイギリス兵士との間で戦いが起こった。他の反植民地軍の陥落(特にシカソではバベンバ・トラオレ王が自害)により、フランス植民地軍はトゥーレに対して集中攻撃を始めるようになった。1898年までに彼は自分の領土のほぼ全てを失い、コートジボワール西部の山に逃亡した。1898年9月29日、彼はフランスのアンリ・グロー将軍によって捕らえられ、ギニア南部への帰還要請も叶わずガボンに追放された。

1900年6月2日、トゥーレはヌジョレ近郊のオグエ川にある島で肺炎を患い、捕虜のまま死亡した。彼の墓は、ギニアの首都コナクリにあるグランドモスク庭園内のカマヤンヌ霊廟(Camayanne Mausoleum)である。


注釈

  1. ^ 現在のギニア共和国北部および南東部のほか、シエラレオネ北東部、マリの一部、コートジボワール北部、ブルキナファソ南部の一部が含まれる。なお、英語圏では地方名から「ワスールー帝国 (Wassoulou Empire」と呼ばれるが、日本では彼の名にちなんだ「サモリ帝国」の呼称が一般的[1]

出典

  1. ^ コトバンク「サモリ・トゥーレ」にて、百科事典マイペディア日本大百科全書が「サモリ帝国」を使用。なおブリタニカ国際大百科事典日本語版は国名の使用を避けている。
  2. ^ a b c コトバンク「サモリ・トゥーレ」百科事典マイペディアの解説より。
  3. ^ Maddy, Monique. Learning to Love Africa, p. 156.
  4. ^ Vandervort, Bruce, Wars of Imperial Conquest in Africa, 1830-1914, p. 128.
  5. ^ コトバンク「サモリ・トゥーレ」日本大百科全書の解説より。
  6. ^ Asanti states that the arms were "imported from the free country of Sierra Leone or made by his own Mandinka blacksmiths." Asanti, p. 234.
  7. ^ Asanti, p. 235.
  8. ^ Dictionary of African Biography. OUP USA. (2 February 2012). p. 55. ISBN 9780195382075. https://books.google.com/books?id=39JMAgAAQBAJ&q=tovalou+quenem+joseph+african+biography+dictionary&pg=RA5-PA55 


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