サイード・パシャ サイード・パシャの概要

サイード・パシャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 13:26 UTC 版)

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サイード・パシャ
サイード・パシャ。文久遣欧使節の漢方医高嶋祐啓画

生涯

1822年、ムハンマド・アリー側室の間に、四男として生まれる。イブラーヒーム・パシャは異母兄。少年時代には、1834年から1837年までカイロ領事だったフェルディナン・ド・レセップスが家庭教師を務め、温和でヨーロッパ好きに育った。

1854年に即位すると近代化政策を進め、失敗もしたが人道的、民主的な改革を行なった。

恩師レセップスに勧められスエズ運河の開発を始めるが、農民に多大な負担をかけ財政が非常に悪化する。そのことによるショックから1863年に崩御した。40歳。

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