クー・フーリン 政治的利用

クー・フーリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 06:56 UTC 版)

政治的利用

アイルランド民族主義からの利用例、「死に瀕したクー・フーリン」像。
パトリック・ピアースとクー・フーリンがデザインされた10シリングコイン。1966年発行。

イギリスからの独立を主張するアイルランド民族主義とイギリスとの連合を主張する連合主義英語版、対立する両主義は共に政治的シンボルとしてクー・フーリンを掲げている[10]

イースター蜂起の指導者の一人、パトリック・ピアースはクー・フーリンを敬愛していたことでも知られている。彼は18歳のころ、クー・フーリンについて以下のように語っている。

もしクーフーリンの物語がヨーロッパのものになっていたならば、ヨーロッパ文学はどんなに豊かなものになっていたことだろう。クーフーリンの物語は世界最高の叙事詩だと思う。完成度においては最高とはいえないが、それでも繰り返していおう、最高の叙事詩だ。ギリシャの物語よりも優れている。ギリシャ悲劇よりも哀れを誘い、しかも同時に精神を昂揚させる。それはクーフーリンの物語が罪なき神による人間の贖罪を象徴しているからだ。原罪の呪いがひとつの民族にかけられる。一人の罪が民族の玄関に運命をもたらす。母の血はその民族につながるが、父は神なる若者はみずからは呪いにかけられていない。若者は勇気によって民族を贖うが、そのために彼は死なねばならぬ。キリスト磔刑の再話のようだ。それとも予言か?[11]

—(小辻 1998, p. 85-86, 『ケルト的ケルト考』)

また、彼が29歳の時に設立した聖エンダ校の校内には、「もしわたしの名声と行動が後世に生き残るならば、わたしは一昼夜しか生きなくてもかまわない」という幼きクー・フーリンの言葉を刻んだフレスコ画が飾られていたという。ピアースはこのほかにも、クー・フーリンなどをテーマにした2つの歴史野外劇も執筆しており、彼の人生においてクー・フーリンが与えた影響は計り知れない[12]

クー・フーリンやフィン・マックールの物語は、アイルランドの小学校で教えられるカリキュラムに含まれており、共和国と北アイルランドの双方で教えられている[13]


注釈

  1. ^ スアルタムもクー・フーリン同様にマハの呪いを受けていなかった(リース 2001, p. 640)
  2. ^ 父親はさまざまであり、デヒトラの兄のコンホヴァル(近親相姦による誕生はしばしば神性の印であった)が父親とする説もある(ミランダ, p. 99)。
  3. ^ 稿本によってはセタンタという名の名付け親はケト・マク・マーガハ英語版であるとされる(マイヤー 2001, p. 91)。
  4. ^ プトレマイオスの記述によれば、この名前は、今日のイングランドのランカシャーにあたる地域に住んでいた、ケルト系部族のシェダンティ族とおそらく関係がある(キアラン・カーソン, p. 330)。
  5. ^ M. Connell: The Medieval Hero: Christian and Muslim Traditions. Ed. Dr. Müller. 2008. p. 227
  6. ^ ケルトの戦士の名前に「犬」が使われるのは珍しいことではない。コノア王(コンホヴァル)も、後にクー・フーリンと戦うことになるクー・ロイもその名に犬が含まれている(マルカル 2001, p. 20)。また、ブルターニュではアイルランドの戦士は「犬戦士」と呼ばれていた(篠田 2008, p. 314)
  7. ^ クー・フーリンにはコンラの他に、Fínscothという娘もいた。この女性は物語「ロスナリーの戦い」に登場するが、人柄や母親は明かされない。タラの王Cairbre Nia Fer英語版とアルスターの間に起こった戦争の和平の印として、Cairbreの息子Erc mac Cairpri英語版の妻となる(Hogan, p. 55)。なお、夫のErcは父親の復讐のため、のちにクー・フーリンの殺害に加担し、コナル・ケルナッハに殺されることとなる(Stokes, p. 182)。夫が殺害された後、Fínscothがどう生きたのかはやはり明かされない。
  8. ^ 写本や伝承を編集し翻訳したグレゴリー夫人の『ムルテウネのクーフーリン』にはこの説話に相当する箇所がある。

出典

  1. ^ 木村 & 松村, p. 209.
  2. ^ The Wooing of Emer by Cú Chulainn, paragraph 15.
  3. ^ キアラン・カーソン, p. 153.
  4. ^ ミランダ, p. 100.
  5. ^ 木村 & 松村, p. 208.
  6. ^ キアラン・カーソン, p. 69.
  7. ^ キアラン・カーソン, p. 331.
  8. ^ キアラン・カーソン, p. 149.
  9. ^ 八住, p. 48.
  10. ^ 佐藤, p. 56.
  11. ^ 「Some Aspects of Irish Literature」Pádraic H. Pearse(原文)
  12. ^ 鈴木良平「パトリック・ピアス評伝 : 編集者教育者革命家」『法政大学教養部紀要. 社会科学編』第105巻、法政大学教養部、1998年2月、23-51頁、CRID 1390853649756740224doi:10.15002/00004626ISSN 0288-2388 
  13. ^ BBC - Northern Ireland Cu Chulainn - Homepage” (英語). www.bbc.co.uk. 2020年7月22日閲覧。


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