クロード・ロラン 評価と遺産

クロード・ロラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 01:37 UTC 版)

評価と遺産

海港 シバの女王の上陸
『アポロとメルクリウスのいる風景』(1645年)

ローマでは17世紀中頃まで風景が真剣に取り組むべき画題と見做されることは無かった。北ヨーロッパではドイツのアダム・エルスハイマーパウル・ブリルが幾つかの作品で風景を主題とした作品を描いている。他にもレオナルド・ダ・ヴィンチのドローイング[1]バルダッサーレ・ペルッツィの装飾的フレスコ画で風景が主題となっている。しかし主要なイタリアの画家が本格的な作品で風景を主題とするのはアンニーバレ・カラッチと弟子のドメニキーノを待たなければならない。尤も彼等に於いてもロランと同じように表向きは神話や宗教を主題としていた。主題として風景を扱うことは明らかに非古典的で、ありえないことだった。カラッチの才能は古典の作品を理想としたルネサンス美術とは相容れないものであったし、ドメニキーノの才能も宗教または神話上の主題を高く評価する対抗宗教改革時のローマではサポートを得るのが難しかった。背景には純粋な風景画は静物画風俗画と同じように、道徳的真剣さに欠けると見做す当時の美学上の視点が有る。17世紀イタリア美術の神学、哲学上の中心地ローマはそのような伝統からの離脱の準備はできていなかった[疑問点][独自研究?]

ロランは弟子に親切で勤勉であり、非常に鋭い観察眼を持っていたと伝えられている。しかし、生前、彼のことを記録する者はいなかった。ヨアヒム・フォン・ザンドラルト(Joachim von Sandrart)がロランの生涯に関しては権威である(Academia Artis Pictoriae、1683年)。フィリッポ・バルディヌッチ(Filippo Baldinucci)はロランと近しかった数人から情報を得て様々な出来事をまた別の印象で語っている(Notizie dei professoni del disegno)。ジョン・コンスタブルはロランのことを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」だと述べ、ロランの風景では「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛している[2]


  1. ^ Royal Collection
  2. ^ Beckett, Discourses, pp. 52–53; [1]






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