クリスチャン・ギッシャム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 02:36 UTC 版)
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クリスチャン・ギッシャム(1912年) | |||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | クリストファー「クリスチャン」・ウィリアム・ギッシャム | ||||||||||||||
国籍 |
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種目 | マラソン | ||||||||||||||
生年月日 | 1888年10月15日 | ||||||||||||||
生誕地 | 南アフリカ共和国クワズール・ナタール州ピーターマリッツバーグ | ||||||||||||||
没年月日 | 1956年6月16日(67歳没) | ||||||||||||||
自己ベスト | マラソン:2時間37分14秒(1912年) | ||||||||||||||
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経歴
ストックホルムオリンピックのマラソン競技は、19の国から68人の選手が出場して1912年7月14日に行われた[1]。最高気温40度という過酷な条件で行われたこのマラソンでは、出場選手のほぼ半数に当たる33名が途中棄権することになった[2]。ギッシャムは折り返し地点では1位だったが、その後同じく南アフリカ代表のケネス・マッカーサーに抜かれて、約1分遅れの2時間37分52秒0で2位でゴールし、銀メダルを獲得した[3]。
なお、ギッシャムは第一次世界大戦でのオリンピック中止を挟んで次のアントワープオリンピックでもマラソン競技に出場したが、このときは途中棄権している[4]。
関連項目
外部リンク
- クリスチャン・ギッシャム - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)
- ^ このオリンピックでのマラソンの距離は、40.200kmだった。
- ^ All results from the 1912 Olympic marathon アーカイブ 2010年8月11日 - ウェイバックマシン 2010年7月31日閲覧。(英語)
- ^ The big day during the Olympic Games アーカイブ 2010年8月11日 - ウェイバックマシン 2010年7月31日閲覧。(英語)
- ^ Athletics at the 1920 Antwerpen Summer Games:Men's Marathon 2011年4月23日閲覧。(英語)
- 1 クリスチャン・ギッシャムとは
- 2 クリスチャン・ギッシャムの概要
固有名詞の分類
マラソン選手 |
李鳳柱 エティエンヌ・ガイイ クリスチャン・ギッシャム テグラ・ロルーペ エミール・ザトペック |
南アフリカ共和国の陸上競技選手 |
ジャック・フライターク エレナ・マイヤー ベビル・ラッド クリスチャン・ギッシャム オスカー・ピストリウス |
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