ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)とは? わかりやすく解説

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ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:02 UTC 版)

ウラジーミル・ヤロスラヴィチロシア語: Владимир Ярославич1020年 - 1052年10月4日)は、ヤロスラフ1世と、スウェーデン王オーロフの娘インゲゲルド(ru)との間の子である。ノヴゴロド公(在位:1034年 - 1052年)。15世紀にブラゴヴェルヌィー(ru)[注 1]として列聖された。


注釈

  1. ^ 「ブラゴヴェルヌィー」はロシア語: Благоверныйの転写。列聖された君主を指す。著名な人物としてはアレクサンドル・ネフスキーが挙げられる。
  2. ^ 「ヤミ」はロシア語: Ямьの転写。(フィンランド語: jäämit)。ノヴゴロド内外のフィン人などの総称。

出典

  1. ^ マッツ.G.ラーション『悲劇のヴァイキング遠征』p82
  2. ^ Баумгартен Н. А. Первая ветвь князей Галицких: Потомство Владимира Ярославича//Летопись Историко-родословного общества (далее.— Лет. ИРО). М., 1908. Вып. 4 (16). С. 3—4
    Baumgarten N. Genealogies et manages occidentaux des Rurikides russes du Xe аи ХШ siele//Orientalia Christiana. № 35. Roma, 1927. P. 7. Tabl. 1. № 22, 25
    Баумгартен Н. А. Ода Штаденская, внучатая племянница папы Льва IX — невестка Ярослава Мудрого//Благовест. Париж. 1930. № 1. С. 95—102.
  3. ^ А. В. Назаренко. О династических связях сыновей Ярослава Мудрого. Отечественная история / РАН. Ин-т рос. истории. — М.: Наука, 1994. — N 4-5.\\Проект «Хронос»


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