ウィリアム・シャーマン 評価

ウィリアム・シャーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 01:57 UTC 版)

評価

シャーマンは南北戦争を代表する北部軍人として名を残したが、決して前線で目覚ましい活躍を見せる猛将では無く、戦術指揮官としては並の能力の持ち主だったと評価されている。戦術面で優れている猛将、勇将達は南部の方が充実しており、北部はリンカーンの政治戦略と、グラント、シャーマンの軍事戦略と、カスターなどに代表される猪突猛進型の将校との組み合わせが出来るまで苦戦を強いられた。

シャーマンは、戦略家、特に近代戦の創始者として評価されている。彼は、その時代には卓越した戦略理論であった総力戦を編み出し、実行した。ジョージア州を徹底的に破壊しながら、北部にとって戦略的に重要な町(サバナなど)や物資(収穫済み綿花など)はしっかりと確保しており、ただ無意味な破壊のみをもたらしたわけでなく、戦略的意味を計算しながら破壊進撃した。

その一方で、彼の軍人としての経歴の中には南北戦争後の悲惨なインディアン各部族の掃討戦も含まれており、彼の軍事戦略理論の正しさを証明しながらも、戦争をよりいっそう悲惨なものにした。近代戦の人種掃討作戦、一般人および一般施設への無差別攻撃など、非戦闘員を巻き込んだ戦争の形態を作った人物でもあり、嫌戦家であった軍事学者・作家としての彼の言動と対照的である。

関連項目

外部リンク

軍職
先代
ユリシーズ・グラント
陸軍総司令官
1869年3月8日 - 1883年11月1日
次代
フィリップ・シェリダン
公職
先代
ジョン・アーロン・ロウリンズ
陸軍長官
代行
1869年10月25日 - 1876年3月2日
次代
ウィリアム・ベルナップ

  1. ^ この年に3つ星の将官として新設、大将は4つ星となる。
  2. ^ Fred R. Shapiro and Joseph Epstein, eds., The Yale Book of Quotations (New Haven: Yale University Press, 2006), p. 708.
  3. ^ From transcript published in the Ohio State Journal, August 12, 1880, reproduced in Lloyd Lewis, Sherman: Fighting Prophet (Harcourt, Brace & Co., 1932. Reprinted in 1993 by the University of Nebraska Press, ISBN 0-8032-7945-0), p. 637.


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