イバノン・コフィー イバノン・コフィーの概要

イバノン・コフィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 04:36 UTC 版)

イバノン・コフィー
Ivanon Coffie
基本情報
国籍 オランダ
出身地 アンティル自治領ウィレムスタッド(現: キュラソー
生年月日 (1977-05-16) 1977年5月16日(46歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手遊撃手
プロ入り 1995年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2000年7月15日
CPBL / 2007年3月20日
最終出場 MLB / 2000年9月20日
CPBL / 2008年3月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム オランダ
五輪 2004年
WBC 2006年

経歴

1995年ボルチモア・オリオールズと契約し、1996年にルーキー級ガルフ・コーストリーグ・オリオールズデビュー。

2000年はAA級ボウイ・ベイソックスで開幕を迎え、AAA級ロチェスター・レッドウイングスに昇格し、7月にメジャーデビューを果たした。23試合に出場し、打率.217、0本塁打、6打点の成績を残した。

2001年はメジャー昇格はなく、この年限りでオリオールズを退団。

2002年シカゴ・カブス傘下AAA級アイオワ・カブスでプレー。

2003年セントルイス・カージナルス傘下、独立リーグ、古巣のオリオールズ傘下と所属球団を転々とした。

2004年ヒューストン・アストロズ傘下AA級ラウンドロック・エクスプレスでプレーし、8月に行われたアテネオリンピックの野球競技オランダ代表に選出された。

2005年からはオランダの野球リーグであるホーフトクラッセでプレー。また2006年3月には、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出された[1]

2007年は、台湾中華職業棒球大聯盟(CPBL)の誠泰コブラズに入団。11本塁打を記録した。チームが米迪亜ティー・レックスとなった2008年も残留するも、開幕直後の3月29日に退団した。退団後はアメリカ独立リーグ、オランダのホーフトクラッセでプレー。

2009年からはイタリアンベースボールリーグに活動の場を移し、2010年まで所属し現役を引退した。

現役引退後はオハイオ州で野球教室を運営[2]

プレースタイル・人物

長打力を武器としたパワーヒッターである。守備面では、動きも良く強肩ではあるものの安定感に欠ける。


  1. ^ 2006 Tournament Roster” (英語). WBC公式サイト. 2015年3月20日閲覧。
  2. ^ Ivanon Coffie Baseball clinics, Camps, training in the Cleveland Ohio area.”. Ivanon Coffie Basball. 2022年1月1日閲覧。


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