アーラシュ (イラン神話) アーラシュ (イラン神話)の概要

アーラシュ (イラン神話)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 05:00 UTC 版)

テヘランサアダーバード宮殿英語版にある、弓を引くアーラシュの像。

概要

アーラシュの物語の典型は次のようなものである:イラン人トゥーラーン人の間に起こった「聖なる栄光」(ファッラフ)を巡る戦争において、トゥーラーンの将軍アフラースィヤーブイランの王マヌーチェフル (Manūčehr) の軍を包囲し、両軍は講和を結んだ。 両者は、弓矢の届く限りの土地をマヌーチェフルとイランの民に返還し、残りの土地をアフラースィヤーブと他の民族のものとすることで合意に至った。天使(アル=ビールーニーによれば 'Esfandārmaḏ', すなわちアムシャ・スプンタの一柱スプンタ・アールマティパフラヴィー語でスパンダールマド (Spandārmad) のこと)はマヌーチェフルに特別な弓と矢を作らせ、熟達した射手であるアーラシュがその矢を放つ役に選ばれた。アーラシュが夜明けに矢を放つと、矢は恐るべき距離を飛んでいき、イラン人とその他の民族とを隔てるべき境界の印となった。

ビールーニーによれば、アーラシュは矢を放ったことにより滅んで消えてしまったという。アーラシュは己の肉体を晒しこう言った。「見ろ! 私の体には傷一つ病一つない。だがこの矢を放ったとき、私は滅びるだろう」と。そして夜明けにアーラシュが矢を放つとすぐさま、アーラシュの体は裂けて散り散りになった[1]サアーリビーでもまた矢を放ったアーラシュは滅んでしまったとしている ("Ḡorar")[1]

後期の文献においてアーラシュの結末は異なっており、タバリーによれば、アーラシュは人々に支持されて弓兵達の指揮官となり、大きな名誉の中で人生を送ったとされる。また、タバリーによるとペルシャの物語で射手に名声を与えし矢は3つ存在するとあり、1つはバフラーム・チュービーナの矢、残り2つはアーラシュの矢とスーファライーの矢。タバリーではバフラーム・チュービーナはアーラシュの子孫とされている。

アーラシュが放った矢がどれほど飛んだかについても諸説ある。一説では 1000 パラサング)の距離とされ、またある説では 40 日間歩いたほどの距離だとされる。他にも矢が飛んだ時間について、夜明けから正午にかけて飛んだとすることもあれば、夜明けから日没まで飛び続けたとすることもある。

文献の中にはアーラシュが矢を放った日を特定しているものもある。中世ペルシア語のテクスト "Mah i Frawardin" では第 1 の月の 6 日目(ゾロアスター教暦英語版において 1 月はフラワルディーン、6 日はホルダードと呼ばれる)とされ、より後期の文献ではティールガーン英語版の日(ティール英語版の月の 13 日。ティールは第 4 の月でティシュトリヤに因む)とされている(ビールーニー『古代民族年代記 (Āṯār al-bāqīa)』[2]ガルディーズィー "Zayn al-Akhbār")[1]。ティールガーンのある日はゾロアスター教暦のヤザタ・ティール (Yazata Tir) にあたり、月名のティール (Tir) と同音の言葉で「矢」という意味の異義語があるため、そこから想起されたのではないかと考えられている[1]

アーラシュの矢がどこから放たれたかについても様々な言及がある。『アヴェスター』のティシュタルヤシュト英語版では「アリヨー・フシュサ (Airyo Xshutha)」という山から放たれたとされている (Yt. 8.6)[3][4]。アリヨー・フシュサがどこにあったかは分かっていない[1]。イスラームの時代に下ると、アーラシュが矢を放った場所は多くの文献でカスピ海の南が示され、タバリスターンタバリーサアーリビーマクデスィー英語版イブヌル・アスィールマルアシー英語版による)、ロヤーン英語版の山頂(ビールーニー、ガルディーズィーによる)、アーモル英語版の砦(『モジマル英語版[5]による)、ダマーヴァンド山バルアミー英語版による)、サーリーゴルガーニー英語版による)などとされる[1]

アーラシュの矢が立った場所については、『アヴェスター』のティシュタル・ヤシュトでは「フワンワント (Xwanwant)」という山が示され[3][4](具体的な場所は同定されていないが、『シャー・ナーメ』や『ヴィースとラーミーン』において言及される「ホマーヴァン (Homāvan)」と同じ山ではないかと提案されている。この山はホラーサーン北東部にあったと考えられている[1])、あるいはバルフにある川(タバリー、イブヌル・アスィールによる)、バルフの東(サアーリビーによる)、バクトリアないしトハーリスターン(マクデスィー、ガルディーズィーによる)、アムダリヤ川の堤防(バルアミーによる)、メルブ(『モジマル』による)などとされる[1]。ビールーニーによればアーラシュの矢は、ホラーサーンから最も遠い、フェルガナとタバリスターンの間の木に刺さったという。

アーラシュという名前はイラン人の名前として今日では非常に一般的なものになっている。

Dr Jevanji Jamshedjiの論文[6] によると、シャー・ナーメには「アーラシュの矢」という単語が度々登場し、アルジャースプとザレールの戦った戦争の中で、「サームは最高のメイス使いとされ、そしてアーラシュは最高の射手とされている」と語る[7] 。 また、この論文は古代イランの祭日について記された本についても言及しており、そこにはアーラシュが何故「カマーンギール」と呼ばれるのかについても少しだけ触れられている。引用文には、「詩人の言葉を借りるならばアーラシュは"Kamān-Gīr"、すなわち高名な射手と呼ばれる。これは、AmelからMarvに矢を飛ばしたためだ」とある。

名前の起源

伝承上の名前には典型的に見られることだが、アーラシュもまた様々な名前で呼ばれている。『アヴェスター』における彼の名前は「ウルフシャ (Ǝrəxša, Erekhsha)」であり、速い矢のウルフシャや、イラン人(アーリア人)で最も速い矢を射るものなどと呼ばれている[3][4]。このアヴェスター語の形はゾロアスター教の時代の中世ペルシア語では「エーラシュ (Erash)」という形になった(『ブンダヒシュン』、"Shahrastanha-i Eran", 『ザンドイー・ワフマン・ヤスン』[8]、"Mah i Frawardin" による)[1]新ペルシア語(現代のペルシア語)とアラビア語の形「エラシュ (Erash)」および「イーラシュ (Irash)」はアル=タバリーとイブン・アル=アスィールによる言及がある。他にアル=サアーリビーは「アラシュ (Araš)」、マクディーシやバラミ、『モジマル』、マラーシ、アル=ビールーニー、『ヴィースとラーミーン』のゴルガーニーは「アーラシュ (Āraš)」と言及している。『アヴェスター』における「速い矢」という言葉は、アル=タバリーの「アーラシュシェーバーティール (Āraššēbāṭīr)」や『モジマル』の「アーラシェ・シェーワーティール (Āraš-e Šewātīr)」のように名前に繋がる形で現れる。『シャー・ナーメ』では「アーリシュ(Ārish)」と記されている。


注釈

  1. ^ -e は Āraŝ(アーラシュ)が Kamāngīr(射手)に修飾されることを示すもので、発音上は Āraŝ に短い「エ」が付加される(エザーフェを参照)。「~の」に相当する。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Tafażżolī 1987, p. 266.
  2. ^ Pingree 2011.
  3. ^ a b c 野田 2002, pp. 165–166.
  4. ^ a b c Peterson 1997.
  5. ^ Weber & Riedel 2012.
  6. ^ [1], Asiatic Papers
  7. ^ 実際のシャー・ナーメの原文「O great, brave princes, warriors of Chin! Regard ye not your kindred and allies, Nor yet the wounded groaning 'neath the feet Of one who is as a consuming fire, With Sam's mace and the arrows of Arish, Whose flames e'en now are burning up my host, And scorching all my kingdom? Who is there Among you all, one puissant of hand, To go against yon maddened Elephant ? Whoever will attempt yon warrior-slayer, And hurl him from his steed, upon that man Will I bestow a treasury full of gold, And raise his helmet higher than the sky."」(Arishはアーラシュの別称)
  8. ^ 野田 1999.
  9. ^ ʿĀbedi 2009.
  10. ^ Siavosh Kasrai, Iranian Poet, Caroun.com, Iranian literature.
  11. ^ Foundation, Encyclopaedia Iranica. “Welcome to Encyclopaedia Iranica” (英語). iranicaonline.org. 2021年5月30日閲覧。
  12. ^ Modi, Jivanji Jamshedji; Asiatic Society of Bombay (1905-). Asiatic papers; papers read before the Bombay branch of the Royal Asiatic Society. Robarts - University of Toronto. Bombay British India Press. https://archive.org/details/asiaticpaperspap03modiuoft 


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