荊南
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 02:08 UTC 版)
荊南(けいなん、907年 - 963年)は、中国五代十国時代に現在の湖北省を支配した国。弱小ながら、交易の中継点として栄えた。南平(なんぺい)・北楚(ほくそ)とも。ただし、実際には中原の五代王朝の節度使の一人に過ぎず、独立した国家ではなかったとする異説がある(後述)。
- ^ 『資治通鑑考異』が引用する『明宗実録』によれば、荊南の刺史は朝廷(五代=後唐)が任命しており、後唐の天成2年(927年)2月に高季興が刺史任命権を朝廷に求めたところ拒絶されたという。
- ^ 山崎によれば、「十国」の概念が初めて登場したのは、欧陽脩の『五代史記(新五代史)』が最初であり、その少し前に書かれた路振の『九国志』には荊南が加えられておらず、欧陽脩と同時代にあたる孫の路倫が治平元年(1064年)に皇帝に献上する際に荊南の2巻を補われたが不十分であったため、改めて史館の張唐英が北楚(荊南)2巻を補ったという。
- ^ 山崎覚士「五代の〈中国〉と平王」(初出:宋代史研究会研究報告第九集『「宋代中国」の相対化』(汲古書院、2009年) ISBN 978-4-76292-866-6/所収:山崎『中国五代国家論』(思文閣出版、2010年) ISBN 978-4-7842-1545-4)
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