first opium warとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > first opium warの意味・解説 

アヘン戦争

(first opium war から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 00:49 UTC 版)

アヘン戦争(アヘンせんそう、: 鴉片戰爭、第一次鴉片戰爭: First Opium War)は、イギリスの間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。


注釈

  1. ^ 処分中、石灰との反応により処分池の塩水は煙を上げた[33][32]。処分は公開で行われ、煙を上げる光景は絵にも描かれた[32]。この煙を上げる絵などから、後年、この処分について、「焼却」と誤り伝えられることもあった[32]
  2. ^ この当時マカオは清国領であり、ポルトガルは公式にはマカオに関する権利を一切有しておらず、居住を事実上黙認されているに過ぎなかった[45][46]。そのためポルトガルのマカオ総督は清国側の行政権行使を拒否することはできなかった[45][46]
  3. ^ イギリス側には「このとき林則徐はイギリス人の殺害を図り、井戸に毒を入れた」とする風説があり、イギリス側による文献には事実のように書かれていることがあるが、実際には林則徐は食料供給の禁止と使用人退去を命じたに過ぎない[45][47]。イギリス人退去後もマカオにはポルトガル人が従前同様に居住しているが、井戸の毒による健康被害などは発生していない。また、林則徐が求めたのはアヘン禁絶の誓約と住民殺害事件の捜査・犯人引き渡しであるにもかかわらず、それを拒否して全員の船上への退去を決めたのはエリオットである[45][47]
  4. ^ この頃アメリカ商人がイギリス商人に要求した香港沖泊地-広州間の中継運賃単価は、サンフランシスコ-広州間の運賃単価をも上回る著しく高額のものだった[39][48]
  5. ^ グラッドストン議会で「確かに中国人には愚かしい大言壮語と高慢の習癖があり、それも度を越すほどである。しかし、正義は異教徒にして半文明な野蛮人たる中国人側にある」と演説してアヘン戦争に反対した[59]。他方グラッドストンは「中国人は井戸に毒を撒いてもよい」という過激発言も行い、答弁に立ったパーマストン子爵はこの失言を見逃さず、「グラッドストン議員は野蛮な戦闘方法を支持する者である」と逆に追及して彼をやり込めた[60]

出典

  1. ^ a b c d Martin, Robert Montgomery (1847). China: Political, Commercial, and Social; In an Official Report to Her Majesty's Government. Volume 2. James Madden. pp. 81–82.
  2. ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4d57ba83d5e41aac42e5017f84dc3147e53dc0ff 2020年12月2日閲覧。 
  3. ^ 横井勝彦 2004, p. 70-72.
  4. ^ a b 横井勝彦 2004, p. 72.
  5. ^ 横井勝彦 2004, p. 73-74.
  6. ^ 横井勝彦 2004, p. 74.
  7. ^ 大清帝国の没落…意外に知らない「アヘン戦争」が起こったワケ”. ダイヤモンド・オンライン (2021年6月27日). 2022年2月20日閲覧。
  8. ^ 陳(1971)pp.66-67
  9. ^ a b 陳(1991)pp.61-62
  10. ^ 陳(1971)pp.67-68
  11. ^ 陳(1971)pp.69-77
  12. ^ 陳(1991)pp.63-73
  13. ^ 『近代の誕生 第III巻』p.113イギリスの主要輸出品だった綿織物への需要はほとんど無かった。
  14. ^ 『近代の誕生 第III巻』p.113 清国は1810年 - 1820年には2600万ドルの貿易黒字を計上している。
  15. ^ 加藤徹『貝と羊の中国人』p.92。
  16. ^ 『近代の誕生 第III巻』p.114 清国の貿易収支は1828年 - 1836年に3800万ドルの輸入超過になっている。
  17. ^ 陳(1971)pp.80-91
  18. ^ 陳(1991)pp.34-41
  19. ^ 陳(1971)pp.91-95
  20. ^ 陳(1991)pp.41-45
  21. ^ 陳(1971)pp.95-100
  22. ^ 陳(1991)pp.45-51
  23. ^ 陳(1971)pp.108-113
  24. ^ 陳(1991)pp.51-54
  25. ^ 陳(1971)pp.113-126
  26. ^ 陳(1991)pp.55-56・74-77
  27. ^ 陳(1971)pp.123-126
  28. ^ 陳(1991)pp.77-80
  29. ^ 陳(1971)pp.128-137
  30. ^ 陳(1991)pp.80-86
  31. ^ 陳(1971)pp.137-141
  32. ^ a b c d e 陳(1991)pp.86-88
  33. ^ a b 陳(1971)pp.140-141
  34. ^ 陳(1971)p.138
  35. ^ 陳(1971)p.142・150
  36. ^ 陳(1991)pp.88-89
  37. ^ 陳(1971)p.143
  38. ^ 陳(1991)p.89
  39. ^ a b c d 陳(1971)p.159
  40. ^ 陳(1991)p.94・98
  41. ^ 陳(1971)pp.151-152
  42. ^ 陳(1991)p.86・89・95
  43. ^ a b c 横井(1988) p.55
  44. ^ 横井(1988) p.56-57
  45. ^ a b c d e f 陳(1971)pp.154-156
  46. ^ a b c 陳(1991) pp.92-93
  47. ^ a b c 陳(1991)pp.92-94
  48. ^ a b 陳(1991)p.95
  49. ^ a b 横井(1988) p.58
  50. ^ 陳(1971)pp.157-159
  51. ^ a b 陳(1971)p.160
  52. ^ 陳(1991) pp.94-95
  53. ^ 陳(1991) pp.96-97
  54. ^ 陳(1991)p.95
  55. ^ a b 陳(1971)pp.160-161
  56. ^ a b 陳(1991)p.95-97
  57. ^ a b 陳(1971)pp.161-164
  58. ^ a b 陳(1991)p.96-98
  59. ^ “世界史の遺風(91)ディズレーリ 「帝国主義者」の社会改革”. 産経新聞. (2014年1月9日). https://web.archive.org/web/20140109033916/http://sankei.jp.msn.com/life/news/140109/art14010908300001-n1.htm 2014年8月21日閲覧。 
  60. ^ 尾鍋(1984) p.72-73
  61. ^ 陳(1971)p.172
  62. ^ 陳(1991)p.103
  63. ^ 横井(1988) p.64
  64. ^ 陳(1971)pp.176-180
  65. ^ 陳(1991)pp.105-106
  66. ^ 横井(1988) p.64-67
  67. ^ 陳(1971)p.187
  68. ^ 陳(1991)pp.111-112
  69. ^ 横井(1988) p.69
  70. ^ 陳(1971)pp.193-194
  71. ^ 陳(1991)pp.123-124
  72. ^ 横井(1988) p.74-75
  73. ^ 横井(1988) p.70
  74. ^ https://catalog.digitalarchives.tw/item/00/47/11/55.html
  75. ^ 陳(1971)p.189・194
  76. ^ 陳(1991)p.117・124
  77. ^ 陳(1971)p.194
  78. ^ a b c 陳(1971)pp.194-195
  79. ^ a b c 陳(1991)p.126-129
  80. ^ a b 横井(1988) p.77
  81. ^ 林则徐晚年赞同内地种植、生产鸦片以抵制“洋土”_历史_凤凰网”. news.ifeng.com. 2021年8月20日閲覧。
  82. ^ “中国雲南省にあふれる運び屋”. ニューズウィーク日本版(1991年10月17日号). TBSブリタニカ. (1991-10-17). p. 10. 
  83. ^ 陳(1971)pp.147-148・200・204
  84. ^ 陳(1991)p.250
  85. ^ 和田民子 2007, pp. 287–290.
  86. ^ “【社説】韓国人の死刑執行6日後に通知した中国の欠礼”. 中央日報. (2015年1月7日). http://japanese.joins.com/article/980/194980.html 2017年5月1日閲覧。 
  87. ^ a b 世界大百科事典』平凡社、1988年、阿片戦争の項目.
  88. ^ [1] 海国図志. 巻首,1-100 / 魏源 撰
  89. ^ [2] 鴉片始末 / 斉藤馨 稿 ; 斎藤正謙 批
  90. ^ 猪木正道『軍国日本の興亡: 日清戦争から日中戦争へ』中央公論社、1995年、pp.3-5.



「First Opium War」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「first opium war」の関連用語

first opium warのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



first opium warのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアヘン戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS