楚 (張邦昌)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 14:24 UTC 版)
楚(そ)は、靖康の変後に金朝が中原を治めるために設けた漢人の傀儡政権。大楚(たいそ)ともいう[1]。不人気な政権で金軍が北に去るとすぐに瓦解した[2]。
注釈
- ^ 康王はしかし、父(徽宗)も兄(欽宗)も生きている以上、皇帝として即位するわけにはいかないと当初は固辞し、張邦昌のやり方にも批判的であった[6]。張邦昌は皇后を廃されて尼僧となり宮中に住んでいた孟氏による垂簾聴政によって群臣を集めた[2][6]。彼女もまた、皇籍を離れていたために、金軍が宋の一族をことごとく連れ去ったとき、取り残されて助かったのであった[2]。元祐皇后のもとに集まった群臣は康王に帝位に就くことをこぞって要請した[2][6]。これにより、ようやく康王が宋の皇帝として即位した[2][6]。高宗は金軍と戦いながら12年間流浪し、1138年、臨安(杭州)を行在(仮の国都)と定めた[2]。
- ^ 宮崎市定(東洋史)は、単に経済的な条件だけからいえば(靖康の変がなければ)、北宋には滅びなければならないという必然性はなく、危険信号は感知しながらも、政府の機能は正常にはたらいている部分が多かったと指摘している[2]。
出典
- 1 楚 (張邦昌)とは
- 2 楚 (張邦昌)の概要
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