鹿子木健日子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鹿子木健日子の意味・解説 

鹿子木健日子

(Takehiko Kanagoki から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 00:07 UTC 版)

鹿子木 健日子(かのこぎ たけひこ、かのこぎ ケーニヒ[1]、男性、1914年6月17日 - 1992年2月19日[2])は、日本のバスケットボール選手、指導者。193cmの長身選手として1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場した[3]

経歴

1914年東京生まれ。東京府立五中武蔵高校を経て、東京帝国大学経済学部に進学[4]。在学中は籠球部レンジャースに所属して主将を務めた[5]。1936年のベルリンオリンピックには、バスケットボール日本代表として出場した[6][7]

大学卒業後は日産自動車に勤務したが[1]、戦後退社して陶器の輸出入を手掛ける茜商会を起業した[1][8]。会社経営の一方で日本バスケットボール協会の理事として後進の育成にあたり[2]、1957年5月には日本スポーツ界代表団の一員として中華人民共和国を訪問した[9]

1992年死去、享年77歳。

家族

父は哲学者・海軍軍人の鹿子木員信、母はポーランド系ドイツ人で武蔵高校ドイツ語講師の鹿子木コルネリア(鹿子木ネリー、鹿子木練子。後に員信と離婚)[1][10][11] 。母方の祖父はサンクトペテルブルク大学の古典学者、タデウス・ジェリンスキー英語版[12]

妻の邦子は岩倉具明子爵(岩倉具経の長男)の娘[13]。娘の村口晴美は学習院大学ドイツ語講師[11][12]。村口晴美の夫は建築家の村口昌之[11]

脚注

出典

新聞

  • 「代表選手プロフィル 鹿子木健日子=籠球」『読売新聞』、1936年2月18日、朝刊4ページ。
  • 「東大篭球部役員」『東京朝日新聞』、1936年2月21日、朝刊4ページ。
  • 「鹿子木健日子 バスケット界の“野党”に」『読売新聞』、1959年12月13日、朝刊17ページ。

論文

ウェブサイト

データベース

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿子木健日子」の関連用語

鹿子木健日子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿子木健日子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鹿子木健日子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS